嵐の中で

「なにもこんな天気のなか行くことないのに」 母の言うことはもっともだ。 雨脚はどんどん強くなり、風が実体化して目に見えるかと思えるくらい轟々と視界に入る映像を上下左右と振動させている。 私は家にある一番丈夫な傘を持った。 「傘なんて壊れてもい…

「漂う」(第二十五話)

第二十五話 あなたは表現しようのない気分で青空を見上げていた。 結果はわかっていた。ただ自分の口から正直な想いを伝えることができてよかったとあなたは心から想う。 あなたは温かな陽射しが降り注ぐ昼下がりに幼なじみと肩を並べて歩いていた。 違う。 …

「漂う」(第二十四話)

第二十四話 あなたはかぼちゃの馬車に乗っていた。 向かうのは王子様のお城。 想いが伝わる保証などどこにもないのに、あなたの心は踊っていた。 決して恋愛対象ではなかった不思議な男の子に告白された。 人間の姿は仮の姿であると称すちょっと変わったその…

「漂う」(第二十三話)

第二十三話 あなたは心を掻き乱されていた。 右手に刻まれし刻印に誓った。あなたが愛するのは、かのプリンセスであると。 あなたは想う。 あなたに寄り添うかの気高き女性もまたエルフか何か、人間を仮の姿として自身を抑えているのだろうかと。 あなたは思…

「漂う」(第二十二話)

第二十二話 あなたはかつて何度となく経験してきたことを再度経験した。 容姿やキャリアが相対的に人より秀でているとあなたは素直に自覚し、認めてからというもの、同性異性を問わず告白されることがさらに増えた。 そしてまた。 「こうしてご飯をともにし…

「漂う」(第二十一話)

第二十一話 あなたは動揺していた。 おそらく人生の中においてもっとも衝撃を感じたものかもしれないとあなたは深い呼吸とともに自身を落ち着かせ、今一度状況の理解に努めた。 「ずっと好きだった」 幼なじみからの一言。 長い付き合いで、好きとか嫌いとか…

「漂う」(第二十話)

第二十話 あなたは壇上にいた。 各界の重鎮の目という大小様々なカメラがあなたに向けられていた。 それはときに優しく、ときに厳しく、可視化した光線のように色を変えながらレンズから発射された。 皺のないタキシードにさらに張りを出しそうなほどの熱い…

「漂う」(第十九話)

第十九話 あなたはオーストリアの宮廷でディナーを楽しんでいた。 豪奢なシャンデリアは淡い光を細かく無数に放ち、だが主役は決して自分ではないと目立つことは避け、あなたを一番美しく輝かせることに専念しているようだった。 宮廷音楽家が奏でるメロディ…

「漂う」(第十八話)

第十八話 あなたは水の中にいた。 あなたはそれが幻影だと知っていた。 澄んだ水はひんやりと冷たい。だが肌には心地よいとすら感じられた。 呼吸が苦しいこともなく、周囲を囲む魚たちは饗宴の演舞を執り行っているかのようだった。 あなたは知っていた。 …

「漂う」(第十七話)

第十七話 あなたは深く感じていた。狂おしいほどに。 それは本当に狂気と呼べるものだとあなたはあなた自身でそう認識していた。けれども抑えることができない。呼吸をするかのような自然な行為として。 あなたは地味な服に身を包んでいた。おしとやかな大和…

「漂う」(第十六話)

第十六話 あなたは深い呼吸に身を委ねていた。 「吸ってお腹を膨らませて……」 あなたは心地よい声に導かれ想うがままになる。 「吐いてお腹を凹ませる……」 あなたの意志よりも、何か先立つものがある。 あなたは全身の力が呼吸とともに抜けていくのがわかる…

「漂う」(第十五話)

第十五話 あなたは幼なじみの車のなかで落ち着いていられなかった。 不慣れな格好で、不慣れな相手を前に話をしなければならない。その重責に押しつぶされそうになっていた。 「今からそんな緊張してどうすんのさ? 言っても宴席なんだから気楽にしてりゃい…

「漂う」(第十四話)

第十四話 あなたは電車に揺られていた。 大人女子を意識した格好をするため青山で買い物をすると決めていた。 電車から降り、すれ違う人に目を向けると一瞬脳裏をかすめるときめき。 振り返って見るも、それはまったくの見知らぬ人。 あなたは常に探していた…

「漂う」(第十三話)

第十三話 あなたは独りだった。 周囲には敵でも味方でもない人々が行き交い、今いる場の空気を創り上げていた。 あなたはこの中に自分の敵がいるのを知っていた。 およそすべてを知るあなたは敵の土俵で勝負するリスクもためらうことなく行動に出た。 異界に…

「漂う」(第十二話)

第十二話 あなたは依頼主が襲われたという閑静な住宅街を歩いていた。 弁護士事務所を立ち上げるにあたり、悩める女性の味方としてあなたは自身をセルフプロデュースしていた。そのためあなたの元に訪れる女性の多くはレイプ被害者だった。それは警察に相談…

「漂う」(第十一話)

第十一話 ホットヨガスタジオのタイムスケジュールを見ながらあたなは悩んでいた。 恋と呼ぶには早計かもしれないが彼女以外の他のインストラクターのときには決して感じない何か焦がれるという想いの記憶があなたの胸にちりちりとしたものを残していた。 彼…

「漂う」(第十話)

第十話 あなたは海の底とは異なる喧騒の只中で息をしていた。 最先端のデバイスを身につけることなく、目で認識できるほどの濃いタバコの煙に巻かれ焼酎をちびちびとすすっていた。 「海の底の話も興味深いんだけどさ、俺にしたらお前が身につけるウェアラブ…

「漂う」(第九話)

第九話 あなたは澄んだ水で満たされた水槽の中にいた。 あなたは水の抵抗など感じることなく動くことができた。 腕を広げる。足を動かす。力を抜く。あらゆる動作にあなたを取り囲む魚たちが反応を示し、コミカルなダンスを舞う。 あなたは空気の流れである…

「漂う」(第八話)

第八話 あなたはあなたが言うところの禁書目録を片手に、おびただしい数の書物に囲まれていた。知性をさらなる高みに体系化すべく、書物の海に体を預け精神を統一していた。 「お疲れ。賢者の間にいるの好きだね」 あなたの耳に優しく届くその美しい声は、ど…

「漂う」(第七話)

第七話 あなたの意識に語りかけるのは日本語とは大きく異なる言語だった。 あなたはドイツ語をお茶しながら学べるカフェの一室にいた。ドイツ語講師がずっとあなたに呼びかけていたらしい。 あなたの意識は光と闇を彷徨っていた。すぐ向かいに座る大学生くら…

「漂う」(第六話)

第六話 あなたが意識を現実に取り戻したとき、あなたは滝のような汗を流していた。着ているメッシュ素材のシャツは余裕で絞れるほど汗を含み、ぴったりと体に密着している。 正面の大きな鏡に映る自分と目が合う。 その下の時計を見ると、あなたが途方もなく…

「漂う」(第五話)

第五話 あなたは深い深い海の底を歩いていた。 腕に付けているウェアラブルデバイスは、今が昼前であることと、水深六千メートルに達したことを告げていた。 あなたの外見はおよそ地上を歩いている人々となんら変わりがない。白のポロシャツにビビッドカラー…

「漂う」(第四話)

第四話 それは夢なのかもしれない。 あなたはショート丈のダッフルコートにミニスカート。黒のタイツが足を細く長く映す。 あなたは少し斜め下のほうを向き、ほんのりと口角を上げて微笑む。 唇には派手すぎない程度に薄く艶の出るリップを塗り、同様に頬に…

「漂う」(第三話)

第三話 あなたが言うところの七色に光る虹ともオーロラとも呼べるような神秘的なベールに包まれた空を、あなたは飛んでいた。 あなたはなんでも把握していた。全能ではないが、およそ全知であった。 昼でも夜でもない世界にて、あなたは空から問いかける。 …

「漂う」(第二話)

第二話 あなたは深い闇にいた。 恐らく黒く負の感情を伴う比喩的な意味と同時に、そこはあらゆるものが感覚として捉えがたい漆黒の闇に包まれていた。 それは絶望。 考えることを一旦止めたというよりも諦めたことで陥った境地だとあなたは言った。 あなたは…

「漂う」(第一話)

第一話 あなたが言うところのどこまでも果てしなく青く碧い美しい空に向かって、あなたはただ当てもなく彷徨い歩いていた。 人の手が届かない孤島を取り囲む紺碧の海を思わせる空。 どこまで歩けば辿り着くのかなど見当もつかない。それでも足は自ずと引き寄…

閑話休題

ブルートゥースのキーボードが壊れてしまった……。新しいものが届くまで壊れたスマホの画面を四苦八苦しながら打ち込まなければならない。画面にヒビが入っているからなのか打ち込むためにフリックするとカーソルがその度にバンバンとあちこちに飛ぶ。ここま…

春の雪と夏の真珠(第四十三話)

第四十三話 入学式に合わせて桜が咲くようにするため、学校に植えられた桜は様々な品種が混ぜ合わされていると聞いたことがある。 それでも自然の摂理にいつでも完璧に抗えるわけではないだろう。 そう考えるとこうして息子の中学の入学式にて満開の桜に迎え…

春の雪と夏の真珠(第四十二話)

第四十二話 寒さは冬を感じさせているものの一度の雪も降らずに季節は流れていく。急に四月並みの気温になったりすると、もう春の訪れかと人も草木も勘違いしてしまう。 三月に入ると、また冬に戻ったりしつつも徐々に気温が高くなっていくのは毎朝肌に感じ…

春の雪と夏の真珠(第四十一話)

第四十一話 夏珠が福岡に帰ってしまってからも生活には何一つ変化はなかった。 担任が急にいなくなったことに対しても凰佑はまだあまりピンときていない部分も多く、ひょっこりまたすぐ現れるくらいに思っているのかもしれない。 生活は今まで通りだ。 ただ…