「オシャレ貧乏」(第七話)

第七話 年が明けた。もっと困窮しているかと思ったが、意外と普通に生活できていた。そして今の生活にもだいぶ慣れてきた。相変わらずかつかつの生活であるとの認識には間違いないが充実していた。楽しいとも感じていた。 エアコン代の節約のため暖房はつけ…

「オシャレ貧乏」(第六話)

第六話 僕はファッションセンスがいいと言われることが多かった。特に意識して何かをしていたわけではなかったが、自分できちんと納得できるものを選んでいた。高校生の頃や大学生の頃は当然のようにお金がなかった。それでもそうした状況のなかで良いものを…

「オシャレ貧乏」(第五話)

第五話 仕事は朝九時から夕方六時までの週四日間からスタートした。時給だがオーナーの羽振りがよく、売上に応じてちょくちょくと手当を付けてくれた。このペースならばここだけで十五万ほどの収入になりそうだった。けれども会社勤めをしていた頃と比べると…

「オシャレ貧乏」(第四話)

第四話 アルマーニのスーツをその場で買うことを決めた。 細かな丈の調整などがあったため、引き渡しは後日となった。そして今日そのスーツを取りに再び銀座のアルマーニに足を運ぶことになっている。 気持ちがいいくらいに晴れ渡り、秋めいてきたとはいえ夏…

「オシャレ貧乏」(第三話)

第三話 トラブルが起きて会社を辞めるまではあっという間だった。 梅雨入りが宣言されたというのにほとんど雨が降らない空梅雨の六月。全然雨が降らないという印象のなか、その日に限っては本降りの雨となった。 朝、出勤するときから陰鬱とした嫌な感じは否…

「オシャレ貧乏」(第二話)

第二話 日本人は見た目で人を判断する。 ビジネスシーンでは過剰なまでにスーツを着て、髪の毛の色はぼぼ絶対と言ってもいいくらい黒でなければならない。オフィスカジュアルなんてものもあるが、それは狹い空間でだけ許された習慣であり、一般化はできない…

「オシャレ貧乏」(第一話)

第一話 銀座の敷居はかなり下がったと僕より少し上の世代は言う。 敷居が高かったと言われた当時、ただ街を歩くことすら見栄えを気にしてしまうというほどだったらしい。庶民的な、いわゆるカジュアルな服装で銀座の街を歩くことは普通の感覚をしていたらと…

「雪の瞳に燃える炎」(第十一話)

第十一話 環境の変化とは人の体に対して大きな負担を強いる。ただでさえ異国の地にて生活している身とあり、気付かないうちにストレスは大きくなっている。それに加えて、この旅はあまりに多くの「初体験」を光央にもたらした。その疲れが出たのか、マリオや…

「雪の瞳に燃える炎」(第十話)

第十話 カーテンを閉め切っていても午後の陽射しで部屋は明るい。目が慣れてしまった今となっては暗さなど微塵も感じない。 隙間なく爆発する爆竹のよう、怒涛の流れのまま、光央は雪の隣で体を横たえていた。天から降り注ぐ雪のように白より真っ白な肌には…

「雪の瞳に燃える炎」(第九話)

第九話 雪は祭りの詳細を語った。 遠くを見つめるその目には何が映っているのだろうか。懐かしむようでいて、悲しみの色合いが含まれているようにも光央は感じた。雪の言葉によって震える空気はいつだって色を帯びる。語られる言葉と帯びた色が合わなければ…

「雪の瞳に燃える炎」(第八話)

第八話 「今じゃ昼間は巡回したり治安維持にも力を入れてるから安全だけど夜は未だに犯罪の温床となってるとかってニュースでも見るし、そういった話も聞く」 小汚いゴミ箱や浮浪者のいた痕跡を残した袋小路が至るところに見受けられる。昼間とはいえ、密集…

「雪の瞳に燃える炎」(第七話)

第七話 気温がかなり上昇していた。街は初夏の陽気で人々はかなり薄手の格好をしている。実際の収穫時期を光央は知らなかったが、バレンシアオレンジがなんとも似合う気候だと思った。 雑多に賑わう駅の前でも、彼女を見逃すことはなかった。先に着いて待っ…

「雪の瞳に燃える炎」(第六話)

第六話 光央は店内の奥にあるトイレに立った。扉を一枚隔てているはずなのにその向こう側には彼女がいるとはっきり感じた。声が聞こえるとか、香りがするとかではなく、存在感が確かにそこにあった。 光央はどうしてここまで鼓動が高まっているのかわからな…

「雪の瞳に燃える炎」(第五話)

第五話 海からの風は冷たいものの、決して寒いとまで感じないのはバレンシアの恵みたる太陽のおかげだと光央は思う。 ここでは爆竹の音はほとんど聞こえない。聞こえてくるのは波の音、空を舞う鳥の声、そして、光央たちの笑い声。砂浜に足を取られながら歩…

「雪の瞳に燃える炎」(第四話)

第四話 光央は熱しやすい。けれども冷めやすくはない。今でもあわよくばフランチェスカとの関係をと考えてしまっている。それは大学生にもなって未だに異性と付き合ったことがないというコンプレックスが焦らせるものだとも思う。誰でもいいとは言わないまで…

「雪の瞳に燃える炎」(第三話)

第三話 晴れ男の光央は旅行先でひどい雨に見舞われるということがほとんどなかった。長く滞在していて雨の予報に出くわしても大事なイベントごとでは必ず晴れる。 今日から五日間、バレンシアの町はお祭りとなる。スペイン三大祭りの一つであるその「火祭り…

「雪の瞳に燃える炎」(第二話)

第二話 三月のバレンシアは日本と比べるとほんの少し温かい。緯度的にはそこまで変わらないし、気候も似たようなものだが、熱いスペイン人が温度を上げているのか、この日も昼間にコートは必要ないくらいの陽気だった。 白塗りの、高さはないがやたらと大き…

「雪の瞳に燃える炎」(第一話)

第一話 「初めて」というのは何事にも緊張を伴う。 スペインの空港がイタリアで見たそれと似ているようでいて違って見えるのは異なる国民性を反映したことによるものだろうか。海外にだいぶ慣れたつもりでいても、初めての地にはそわそわしてしまう。 光央は…

嵐の中で

「なにもこんな天気のなか行くことないのに」 母の言うことはもっともだ。 雨脚はどんどん強くなり、風が実体化して目に見えるかと思えるくらい轟々と視界に入る映像を上下左右と振動させている。 私は家にある一番丈夫な傘を持った。 「傘なんて壊れてもい…

「漂う」(第二十五話)

第二十五話 あなたは表現しようのない気分で青空を見上げていた。 結果はわかっていた。ただ自分の口から正直な想いを伝えることができてよかったとあなたは心から想う。 あなたは温かな陽射しが降り注ぐ昼下がりに幼なじみと肩を並べて歩いていた。 違う。 …

「漂う」(第二十四話)

第二十四話 あなたはかぼちゃの馬車に乗っていた。 向かうのは王子様のお城。 想いが伝わる保証などどこにもないのに、あなたの心は踊っていた。 決して恋愛対象ではなかった不思議な男の子に告白された。 人間の姿は仮の姿であると称すちょっと変わったその…

「漂う」(第二十三話)

第二十三話 あなたは心を掻き乱されていた。 右手に刻まれし刻印に誓った。あなたが愛するのは、かのプリンセスであると。 あなたは想う。 あなたに寄り添うかの気高き女性もまたエルフか何か、人間を仮の姿として自身を抑えているのだろうかと。 あなたは思…

「漂う」(第二十二話)

第二十二話 あなたはかつて何度となく経験してきたことを再度経験した。 容姿やキャリアが相対的に人より秀でているとあなたは素直に自覚し、認めてからというもの、同性異性を問わず告白されることがさらに増えた。 そしてまた。 「こうしてご飯をともにし…

「漂う」(第二十一話)

第二十一話 あなたは動揺していた。 おそらく人生の中においてもっとも衝撃を感じたものかもしれないとあなたは深い呼吸とともに自身を落ち着かせ、今一度状況の理解に努めた。 「ずっと好きだった」 幼なじみからの一言。 長い付き合いで、好きとか嫌いとか…

「漂う」(第二十話)

第二十話 あなたは壇上にいた。 各界の重鎮の目という大小様々なカメラがあなたに向けられていた。 それはときに優しく、ときに厳しく、可視化した光線のように色を変えながらレンズから発射された。 皺のないタキシードにさらに張りを出しそうなほどの熱い…

「漂う」(第十九話)

第十九話 あなたはオーストリアの宮廷でディナーを楽しんでいた。 豪奢なシャンデリアは淡い光を細かく無数に放ち、だが主役は決して自分ではないと目立つことは避け、あなたを一番美しく輝かせることに専念しているようだった。 宮廷音楽家が奏でるメロディ…

「漂う」(第十八話)

第十八話 あなたは水の中にいた。 あなたはそれが幻影だと知っていた。 澄んだ水はひんやりと冷たい。だが肌には心地よいとすら感じられた。 呼吸が苦しいこともなく、周囲を囲む魚たちは饗宴の演舞を執り行っているかのようだった。 あなたは知っていた。 …

「漂う」(第十七話)

第十七話 あなたは深く感じていた。狂おしいほどに。 それは本当に狂気と呼べるものだとあなたはあなた自身でそう認識していた。けれども抑えることができない。呼吸をするかのような自然な行為として。 あなたは地味な服に身を包んでいた。おしとやかな大和…

「漂う」(第十六話)

第十六話 あなたは深い呼吸に身を委ねていた。 「吸ってお腹を膨らませて……」 あなたは心地よい声に導かれ想うがままになる。 「吐いてお腹を凹ませる……」 あなたの意志よりも、何か先立つものがある。 あなたは全身の力が呼吸とともに抜けていくのがわかる…

「漂う」(第十五話)

第十五話 あなたは幼なじみの車のなかで落ち着いていられなかった。 不慣れな格好で、不慣れな相手を前に話をしなければならない。その重責に押しつぶされそうになっていた。 「今からそんな緊張してどうすんのさ? 言っても宴席なんだから気楽にしてりゃい…