春の雪と夏の真珠(第四話)
第四話
俺たちが一番初めに出会ったとき、それはまだ中学生だった。高校受験に向けて塾などに通う人が増えるのは中学も三年になってからだが、俺はそこそこ勉強は真面目にやっているほうで二年の終わりには塾に通い出していた。
夏珠とはその塾で初めて出会った。でも最初は一方的に俺の視界に夏珠が入っていただけだ。同じ塾の、俺よりランクがひとつ上のクラスにいる優等生だった夏珠に俺は一目惚れをした。
中学生ながらそれまでにも恋人を作るという恋愛経験はあった。けれどそのどれとも違うときめきのようなものが俺の心の内にあった。
勉強が嫌いではなかったことに感謝して俺は猛勉強した。かなり不順な勉強理由だが結果的に成績もクラスも上がり、そのご褒美に夏珠と同じ教室で勉強することができるようになった。
彼女は俺とは違う中学校に通っていた。同じ町に住んでいてもぎりぎり学区が異なるのはよくあることだった。その塾に彼女と同じ中学校の生徒は少なく、会話するメンバーが固定されていてなかなか話す機会はなかった。
それでもできるだけ行動を合わせるようにした。偶然を装いよく顔を会わせるように動いた。我ながらやることが小さいとは思ったが中学生なんてそんなものだろう。
次第に顔だけ知っている仲から、いつからか少ないながら言葉を交わす仲になっていた。
春休みに入り、春期講習が始まった。そのころには自然に会話もできるようになった。もっと彼女と仲良くなりたかった俺は、高校に合格したら買ってもらえるはずだった携帯電話をあれこれ理由を並べ一年早く前倒しで買ってもらうことに成功し、彼女と番号を交換した。
毎日のようにメールのやりとりをし、塾の帰りに二人でお茶をするようにもなった。
「ねえ、志望校ってどこなの?」
「俺は家からも近いし港南第一高校に行くつもり」
「そうなんだ。でもあの高校ちょっと古くて汚くない? 私は綺麗な高校がいいからさ、市立北にしようと思うの。出来たばかりですごく綺麗なんだよ」
俺が行こうとしていた高校は確かに古くて汚いで有名だった。でも電車やバスに乗ってまでして通学することなんて考えられなかった俺は、歩いて行けて学力もそこそこな高校に目星をつけていた。
夏珠が行こうとしていた高校は学力こそ俺のところと同じくらいだが、新しく校舎を建て直したばかりでとにかくその最新設備が売りだった。
夏珠がそこに行くなら俺も志望校を変えようかなとも思ったが、決めたことを曲げる人間と思われたくなかったし、別々の高校に通っているくらいの距離感のがいいかもしれないと、まだ付き合ってもいないのにそんなことを考えていた。
中学生くらいの頃はお互いにちゃんと言葉にしないことには関係が前に進まなかったんだと思う。お互いを名前で呼ぶほどの仲になり、四月に入ると周りから見ても付き合っているように見えるくらい俺たちはいつも一緒にいたが、まだ恋人ではなかった。それこそ友達以上恋人未満なんていう曖昧微妙な関係にあったのだと思う。
先に告白したのは夏珠だ。
その年も冬が長引き四月に入ってもまだ桜はあまり咲いていなかった。厚手のコートこそいらないものの、それなりに着込んでないと寒さが残る季節だったのを覚えている。
塾の帰り、夏珠は用事があると急いでいた。けれど先に出口へ向かったはずの夏珠はまだそこにいた。急に雨が降り出したため足止めをさせられていた。天気予報では雨が降るかもと言ってた気がするが彼女は傘を持っていなかった。俺は持っていた折りたたみ傘を彼女に差し出した。
「俺は大丈夫。教室にもう一本折りたたみを置いてあるから」
もちろんかっこつけるための嘘で傘なんてその一本以外に持っていない。彼女が困ってる姿を見るのが嫌だった。
後日塾で話してるとき、俺の友達のせい(おかげ)で、俺たちの物語は大きく動き出した。
「この前すんごいずぶ濡れで歩いてんのな、よく風邪ひかないな」
教室内のすぐ近くに夏珠はいた。その場は明るいムードに包まれてはいたが、そのとき夏珠と目が合った。
夏珠の目はどういうことか説明しなさいよと言わんばかりの少し怒ったふうに見えた。
「さっきのどういうことなの? ずぶ濡れって何? 傘持ってるって言ってたじゃん」
塾が終わり駅の裏手の人通りがほとんどないところで俺は夏珠に追い込まれていた。人の流れがほとんどなくとも駅の真裏とあって声がたくさん飛び交って静かではない。それが沈黙の気まずさをいくらか和らいでくれてはいたが、素直に俺は謝った。
「ごめん。でも夏珠が困ってるのが嫌だったんだ。急いでたみたいだし二人で一つの傘に入るのも動きが遅くなると思って」
「それで一人ずぶ濡れで帰ったわけ? どうして一人でかっこつけるの? 私だって遥征くんが辛い思いするの見たくない」
夏珠はいつになく本気で怒っているようだった。感情で声が大きくなる癖があるタイプだが、リミットを越えると逆に声がすごく小さくなるのが夏珠の特徴であることをそのとき初めて知った。
小鳥が優しくさえずるかのようなささやき声でいて、とてもよく通る怒気が込もった声に俺は本気でやばいと思った。
「遥征くんは好きな人が自分のためとはいえ辛い思いをするの我慢できる?」
怒りながらもどこか照れてるしぐさを見せたために俺はその違和感になんとか気づくことができた。だがいろんな感情が湧き上がっていたせいで冷静に考えることができなかった。
「今のって……」
「もっとちゃんと言いたかったのに」
やっぱり告白なんだと思った。俺もずっと夏珠のことは好きだった。でも友達として仲良くなり過ぎたことが結果的にそれ以上距離を縮める妨げになっていると感じていた。便乗するようだけれども、これはもう俺も正直に気持ちを伝えるべきだと思った。
「夏珠、俺も夏珠のことが好き。友達としてじゃない。ずっと好きだった。ちゃんと言えなくてごめん。でも本当に好きです」
ひどい噛み噛みの告白だった。それでも両想いであるなら晴れてハッピーエンドで抱き合うなどの王道展開を期待していた俺はその後の夏珠の言動と行動に驚いた。
「なら一人でかっこつけるな」
言葉と同時に強烈な握りこぶしが俺の右肩に飛んできた。あまりの理想と現実のギャップに思考がすぐには追いつかなかった。
「一人で頑張って苦しむなんて許さないから」
殴られて一人で痛みに苦しむ今のこの状況はどうなんだよと言いたかったが、そんなちょっぴり破天荒な夏珠もまた好きだった。
駅から小さな子どもの「バーカ」という甲高い声が聞こえてきた。
俺は夏珠を「バーカ」と全力で抱きしめた。
「ちょっと、痛いよ」
「一人で苦しむなって言ったじゃんか。夏珠も痛い思いを共有」
そんなあまりロマンティックではないやり取りを経て、俺と夏珠は正式な恋人に関係を昇格させた。