春の雪と夏の真珠(第五話)

第五話

 時折吹く強く冷たい風に煽られながら俺たちは立ちっぱなしのまま昔話に花を咲かせてしまっていた。人がほとんど通らない暗い道とはいえ保育園は目と鼻の先にあり、他の保育士や保護者がどこで見ているかわからない。保育士と保護者が道すがら偶然会ったように見えるかもしれないが、話している内容をもし聞かれたならばあらぬ誤解を招いて変な噂が飛び交っても不思議ではない。

 「ごめん。こんなとこで長々と話すことじゃないよね」

 そう言うものの夏珠は純粋に再会を喜んでいるようだった。笑顔が絶えることはなく、明るい。それに反して、俺は正直未だに戸惑いを隠せないでいた。俺には夏珠がどうしてこんなに普通にしていられるのか理解できなかった。この十四年間を俺と夏珠はまったく異なる想いで過ごしてきたのだろうか。

 「立場上こんなふうに仲良く話してたらまずいよね。でも話したいことたくさんあって。時間とれる?」

 夏珠は何を望んでいるのだろう。俺と同じように夏珠ももう別の誰かと結婚して子どもを生み、暖かく幸せな人生を歩んでいるのかもしれない。そうならば俺と再会してする話はひとつのけじめだろうか。夏珠は俺との再会を奇蹟だと言った。そんな出会いに感謝をし、過去に起きたことをすべて精算するつもりなのかもしれない。それでも夏珠が元気に振る舞うなかにはどこか少し無理をしている部分もあるんじゃないかとも思ってしまう。

 俺自身もずっと夏珠と話をしたかった。話をすることを望んでいたはずなのに、いざ夏珠を前にすると萎縮してしまっているようだった。自分の器の小ささに打ちひしがれた。

 「ねえ、聞いてる?」

 暑いのか寒いのかよくわからなかった。汗ばむようでいて肌寒く鳥肌が立つ。自分が何を考えようとしているのかもわからなくなっていた。

 「ごめん。ちょっと思考が追いつかなくて。それくらい俺にとって夏珠との再会はインパクトのあるものだったから」

 「私だってそうだよ。だからこそ話がしたいの。駄目?」

 俺がよく知る夏珠だった。少し歳をとったが今なお変わらない夏珠に懐かしさを覚えた。それと同時に俺の胸の中では落ち着かない何かが騒ぎ立てていた。いつだって俺はこんな夏珠に振り回され、けれどもそれが全然嫌ではなく、ずっと続く当たり前のものだと思っていたはずだった。

 家に帰ると凰佑が満面の笑みで出迎えてくれた。扉ひとつで違う世界に来たんじゃないのかと思うくらい家庭は温かく、その温度差にどっと疲れがにじみ出た。

 妻は凰佑をうっとおしくあしらいながら夕食の支度をしていた。部屋にはシチューのような空腹を刺激する美味しそうな匂いが広がっている。

 「おかえり。飲んできたんだよね? 忘れてて普通に食事の用意しちゃった。まだ食べれる?」

 飲みの席ではほとんど食事らしい食事をしなかった。そのためお腹は空いていた。

 「もらうよ」

 俺はそう妻に言い、自室に着替えに行った。

 部屋は妙に静けさに満たされていて落ち着かなかった。静けさに身を委ねてしまうと、何かわからないがその何かに自分が負けてしまう気がした。

 すぐに着替えて凰佑と遊ぼうとしたそのとき、机に置いたスマホが震えた。登録していない番号からのショートメールで、間違いなく夏珠からだと思った。夏珠と会ってしまったあの場をひとまずお開きにするには番号を交換するしかなかった。決して連絡先を教えることが嫌だったわけではないが、教えてすぐメールが来るということがここまで自身の心を揺さぶるものだともっと慎重に考えるべきだった。俺はメールを確認することなく部屋を後にした。

 心拍数が異常をきたしている。浮気をしている人間を尊敬する。俺には平常心を保つべく神経を集中させるだけで疲れてしまう。絶対にすぐバレるだろうと思う。

 「パパ、みて」

 凰佑が妻に買ってもらったミニカーを誇らしげに見せつけてきた。凰佑を見て夏珠は何を思うのだろう。気づけば頭の中が夏珠で埋め尽くされている状態に寒気がした。

 出来上がったシチューを食べ、ものすごくほっとした。今ある幸せで十分だと思った。それ以上など望んでいない。

 それ以上。

 夏珠とはそれ以上があるのか。

 結局どうしていても夏珠に思考が結びついてしまう。

 「今日一緒に飲んでたのって、あっくんだっけ?」

 妻の何気ない質問が疑いをもつもののように聞こえてしまった。暑くはないはずなのに俺は妙に汗をかいていた。

 「うん、そうそう。かなり久しぶりだったから話もはずんで楽しかったよ」

 「また家にも遊びに来てもらいなよ。凰佑がまだ歩けない時に来た以来だよね」

 流れる月日の早さを感じる。妻が言う話がつい先日のように思える。

 「そうだね。またみんなでご飯でも食べようか」

 凰佑は俺が食べているのもお構いなしにあれこれと話しかけてくる。そのたびにパパからもママからも注意される姿は哀れだが可愛らしかった。