春の雪と夏の真珠(第十話)

第十話

 駅の周辺はほとんど団地で埋め尽くされている。駅周辺を抜けると一戸建ての住宅が並ぶ場所が見えてきた。都心からは離れた町とはいえそこに並ぶ家々はどれも立派な門構えで、かなりの金持ちが住んでるだろうとかねてから思っていた。そんな住宅街に入ったところで、ふと夏珠は自分がお嬢様に見えるのか聞いてきた。
 「ん? 見た目とかじゃあんまりわかんないな。話を聞いて、華道とか軽井沢の別荘とかそういうちょいちょい出てくるフレーズでお嬢様なのかなって思う程度。性格だってあまり上品には思えないし」
 「なにそれ? 女らしくないってこと?」
 急に沸点が低くなるときがある気がする。夏珠はちょっぴりご機嫌斜めの様子だ。お嬢様らしく見られるのが嫌なのかと思って発言したのだが少し間違えたようだ。
 「いや、違うって。上品じゃないから下品ってことじゃないし。いわゆるお嬢様みたいなキャラって癇に障るくらい上品なイメージじゃん。夏珠は全然普通の女の子だから」
 それを聞くと今度はほんのりニヤけた。忙しいやつだなと思ったりもしたが、そんな夏珠もやはり好きだった。
 建ち並ぶ高級住宅の一つが夏珠の住む家だった。大豪邸と呼んでも差し支えないくらいの大きさで、外側の門から家の玄関までですでに俺の家の大きさと同じような気がした。外観はシンプルな四角形の作りで、ダークグレーで統一されたメタリックな印象のやや近未来な雰囲気の建物だった。
 玄関を入ると中はスペースで溢れていて、とにかく開放感に満ちていた。真っ直ぐに夏珠の部屋に行ったため家の内部構造はわからなかったが、聞くに部屋は十くらいあるらしい。両親の他に祖父母も住んでるらしく、泊まり込みでの来客も多いとか。さぞかし社会的地位が高いのだろうと想像してしまう。
 夏珠の部屋はやはり広かった。俺の家の寝室二つ分くらいありそうだからおそらく十二畳ほどあるだろうか。なんの背景知識もなくその部屋を見たら男の子が使っているんじゃないかと思うくらい物が少なくシンプルで、女の子の部屋にありそうな彩りが一切なかった。
 中学三年とはいえ俺も何度か女の子の部屋に出入りしたことくらいはある。女の子の部屋というとピンクや赤といった典型的な女の子カラーで飾られていることが多い。やや性格がボーイッシュな夏珠といえど女の子らしい部屋を想像していただけに素直に驚いてしまった。
 「なに? 部屋が殺風景だなとか思ったんじゃない?」
 見事に心を見透かされてさらに驚きたじろいでしまった。
 「うん。もっと女の子女の子した部屋だと思ったからさ」
 「正直だな。でも事実だよね。昔はけっこうそうだったんだけどさ、なんかめんどくさくなっちゃって。かわいい部屋は親がそうさせてたとこがあったから、それに対する反抗かな」
 確かに普段着ている洋服を見てもあまりど派手な感じのものは少ない。ユニセックスとまではいかなくとも女の子の典型が着るようなものはあまりイメージがなかった。この時まではあまり気にしていなかったが、女の子らしい服装の夏珠も見てみたいと思った。
 「夏珠らしいと思うから、全然いいと思うよ。でもかわいい服とか着ても似合うと思うけどな」
 「え? 服?」
 思ってたことをつい口走ってしまって恥ずかしくなった。
 「あ、いや、服もシンプルにしてるのかなって」
 夏珠は納得した顔で微笑んでくれた。
 「服は別にそんなにこだわってないよ。超フリフリのスカートとかは履きたくないけどかわいいと思う服はそれなりに着るよ」
 嫉妬心を意識した。自分の前ではかわいい姿であってほしいと思う傍らで、あまり本気を出してオシャレをしないでほしいとも思ってしまっていた。夏珠は絶対モテるから。
 夏珠の部屋でも俺たちはひたすらおしゃべりをした。祖父母も家にいるとのことで完全な二人っきりではないにしても密室に二人という状況には変わらない。思春期の淡い期待もどこかにあったとは思うが、ただ一緒にいるというだけで二人とも幸せだったんだと思う。
 「ちょっと、何してるの?」
 実家の近くの市民病院を俺は立ち止まって眺めていた。また昔の思い出に浸ってしまっていて、妻から叱咤の声が飛んできた。凰佑は大きな病院の前に止まる救急車を見て不謹慎にもテンションを上げている。
 「親子そろってぼけっとしないで」
 実家に着くまでにあといくつの思い出ポイントを通るんだっけ。遠い昔を偲ぶ旅みたいだと、実家に帰る足がいくらか軽くなる心地がした。
 そんな気分で歩いている様子は妻にも伝わるらしく、
 「楽しそうだね」
 やや嫌味の込もったトーンで釘を刺された。
 妻にしてみれば俺の実家などあまり居心地のいい場所ではないだろう。心から楽しめるかと言えば決してそうではないはずだ。
 病院を抜けると、毎年夏休みに盆踊りが行われるそこそこ広い公園がある。広いは広いのだがすぐ後ろが道路ということもあり、あまり球技などにはむいていない。なのでそこまで頻繁に利用するというところではなかった。それでも久々にそこを歩けば、予想していた通りに懐かしい記憶が呼び起こされる。
 辺りは夏の様相を帯び、蝉の鳴き声と大音量の盆踊りの歌がコラボする。びっしりと並んだ屋台の焼きそば、たこ焼き、水飴、リンゴ飴、金魚すくい、綿菓子、射的と見ているだけで楽しくなる光景が浮かんだ。
 中学三年の夏。
 ぼちぼち受験勉強にも熱が入る時期でもあったが、休みならばいつも夏珠と会っていた。八月下旬の土日に行われるこの町で最大のお祭りにも当然一緒に行くつもりでいたのだが、夏珠は祭りの存在自体は知ってたもののまだ行ったことがないとのことだった。団地に囲まれた場所にあり、確かに夏珠の家からは少し遠い。それならなおさら一緒に行こうと夏珠を誘った。過去に付き合ったどの子よりも一緒に行きたい気持ちが強かった。
 ちょうどこのお祭りの一週間前が夏珠の誕生日だった。付き合って初めて迎える彼女の誕生日は頑張りたかったが、その当日お互いに珍しく都合がつかず会えないままメールと電話だけで誕生日を祝った。まだバイトもしていないためお金は親からもらうしかなかった。そのため凝ったプレゼントを買うことができず、俺は情けなくも素直に夏珠にそのことを告げた。
 「だから、その代わりお祭りは最高に楽しいようにエスコートする」
 お祭り当日は夕方駅前で待ち合わせをした。俺の家からだと会場となるその公園を通って駅に行くため往復することになるが、夏珠をエスコートすると気合が入っていた。
 夏の夕方はまだ全然暗くなかった。日が傾いて暑さはいくらか和らいでいるものの、西日に直に当たればあっさりと汗ばむようだった。駅前に早く着いてしまい手持ち無沙汰にどうしようとキョロキョロしていると、雑多な人混みの中にはっきりと光り輝くオーラみたいなものが見えた。俺の目は一直線に迷うことなくその光に向けられた。そこにはまだ待ち合わせ時間でもないのに俺を見つけて小走りになる夏珠がいた。
 淡い白をベースとした生地に微妙なグラデーションによる色合いの桜が数々と散りばめられている浴衣を着た夏珠は、俺の目には誰よりも輝いて見えた。
 その姿を見て胸がきゅーっと締め付けられるような感覚が走った。今まで付き合った誰にもこのような感情を持たなかったことに気づいた。
 本気で夏珠のことが好きだと思った。
 絶対に離したくないと思った。
 ずっとずっと一緒にいたいと、そう思った。
 「何か言うことないの?」
 開口一番、夏珠は小言を言うようにぶつくさと照れくさそうにそう聞いた。夏珠の魅力に本当にやられていた俺はすぐに言葉が出てこなかった。
 「すごい似合ってる」
 馬鹿正直な実に素直な感想だった。静かな海で肩を寄せ合いささやき合うかのようなボリュームの声だったと思う。それでも夏珠には伝わったみたいで、俺も夏珠も顔を真っ赤にしていることがコンビニの鏡に映っていて大笑いした。
 すれ違うすべての人が夏珠のことを見ていく気がした。釣り合ってるかはともかくとして、俺は夏珠を連れて歩くことがすごく自慢げだった。
 一番最初にやったのはヨーヨー釣りだった。俺も夏珠もうまいこと赤と青のヨーヨーを釣り上げた。ちょうど隣では小さな兄妹もチャレンジしていて、その姿を夏珠は微笑ましく見て、子どもってかわいいよねと子ども好きの一面を見せてくれた。
 すごい人の多さだったため俺たちは自然と手をつないで歩いたものの、今更ながらかなり照れくさい感じがした。それは夏珠を今まで以上に本気で意識したからだろう。
 ゆっくりと屋台を見て回り、盆踊りのリズムに揺られながら少し離れた公園の木の下で休んだ。毎年来ている夏祭りなのにその印象は大きく異なっていて、新鮮にすら感じていることを夏珠に話すと、
 「それって私効果じゃない?」
 夏珠は得意の節を展開した。
 「そうかもね。夏珠はどう? ここの夏祭り」
 笑って流すふうでいて俺は本当に夏珠のおかげで祭りが楽しいんだと思っていた。夏珠も同じ気持ちでいてくれたらどんなに嬉しいことか。
 「最高。いつものお祭りの一億倍楽しい。なんか遥征くん今日男らしくてちょっとキュンとしちゃった」
 楽しいとの一言だけでも嬉しかったのに、プラスアルファの一言で俺のほうがキュンとしておかしくなりそうだった。気づけば俺は夏珠の手を引き、思いっきり抱きしめていた。
 「誕生日おめでとう。プレゼントこんなんでゴメン」
 木の下は暗く、そんなに人の目があったわけではなかったが、随分大胆な行動に出たもんだと後々振り返ったことを覚えている。
 夏珠は突然のことにびっくりしたようではあったが、
 「ありがとう」
 そう言ってそっと優しく俺の体を包んでくれた。
 その時に香ったほのかな夏珠の香りは今でも覚えている。