春の雪と夏の真珠(第十一話)

第十一話

 「あら、意外と早かったね」
 公園を抜けて歩道橋を渡れば俺の家の団地の敷地内に入る。そしてそのまま長く緩い坂道を登った先に十四階建ての建物が見えてくる。俺の家は抽選で選ばれた結果という偶然ではあるが最上階の角部屋だった。上から見る眺めはなかなかのもので富士山や横浜のランドマークタワーが見えたりする。
 昼ごはんは家で食べようとのことでかなりの手料理を母親は用意してくれていた。父親も準備は手伝っていた様子で、相変わらずの仲良し夫婦っぷりを見せつけていた。
 久々に孫の顔が生で見れるとあって俺の父母は気合が入っているらしく、料理も豪華だし凰佑へのプレゼントらしきものもたくさん置いてあった。
 当たり前だが子どものときと家の大きさは変わっておらず狹いままだ。一般的な2LDKで俺の部屋はあっても寝る時間までの限定で、寝るときは家族全員の寝室にもなっていた。この家で生活していた当時に使っていたものはもうほとんど残っていなかったが、ちょこちょこ懐かしいものが目に入り夏珠の痕跡が出てこないかとひやひやしていた。過去にも何度か実家に来たことはあったし、その時には特に何も見つからなかったが、得てしてこういうタイミングで思わぬ物が出てきたりしそうな気がして落ち着かなかった。
 幸い妻は母親の手伝いに集中していたし、凰佑もリビングの向かいの部屋で父親と遊んで楽しそうにしていた。
 写真が残っていたにしても中学高校の姿であって、それを見て一発で現在凰佑の担任をする夏珠だと気がつくかは微妙なところだと思うのだが、用心するに越したことはない。
 ただそうした警戒心とは裏腹に、その当時の夏珠の姿を今一度見たいという思いに俺自身が駆られてしまっていた。十四年経った姿を見て俺はすぐに夏珠だとわかったが、それは俺だからだろう。実際の夏珠はかなり変わったと思う。面影こそあるものの圧倒的に大人の色気をまとう、より魅力的な姿になっていた。
 夏珠に再会などしていなければ別段そんな写真を見たいなどとも思わなかったはずなのに、運命を憎むべきなのか、そんな運命を掴んだ自分を憎むべきなのか。
 いや、違う。焦っていて思考が鈍い。過去にこの家に訪れた時にはまだ妻も凰佑も夏珠には会っていなかった。もしかすると妻はすでにこの家で夏珠の昔の写真を見ているかもしれない。知らない人間なら気づきようがないが、今もしそれらの写真を見たら何か思うところはあるかもしれない。
 そもそも隠しておくことなのかもわからなくなっていた。最初から話していればこんな気持ちにも悩まされることなく過ごせていたかもしれない。理解のある妻ではあるし、言うのが遅くなればなるほどなにか後ろめたい感情があったという疑念を積もらせるかもしれない。でもすでに遅い気がしてならなかった。この家に帰るまでにどれだけ記憶の中の夏珠との逢瀬を繰り返していたか。何も思ってなければ偲ぶものなどないはずだ。
 妻は相変わらず俺の母親の相手をしていた。凰佑もかまってほしそうに妻の元を行ったり来たりしている。俺は幸せと呼べる境遇に身を置いている。なら俺はさらに何を望んでいるのだろうか。
 「パーパー、みてみて」
 凰佑はさっそくもらったおもちゃの車を嬉しそうに自慢するかのように見せてきた。独占欲が強く、見せるだけで決して触らせようとはしない。
 独占欲。
 嫌な記憶が蘇りかけたところを俺の母親が打ち消した。
 「ほら、座って。ご飯の支度ができたから食べるよ」
 テーブルには、ちらし寿司、フライドチキン、サラダ、フルーツと隙間なく大皿が置かれ、凰佑のためだけにハンバーグとカレーも用意されていた。
 「いっぱい食べたらじいじとおそとに遊びに行こうね」
 凰佑はご機嫌で食べている。みんなの笑顔がそこにはあった。その様子は誰が見ても幸せに見える温かいかけがえのないものだった。
 翌朝は早めに出発となった。伊豆の温泉を予約していたため、みんなで車で移動する。車の運転は俺の父親が担当する。
 俺は免許を持っていなかった。取ろう取ろうと思いながらタイミングが合わず、しかも東京で暮らしていたためその必要性も感じず結局この年まで取ることができなかった。
 五人乗りの乗用車にピッタリの人数で収まって、最初こそ凰佑の歌で盛り上がりをみせていたものの凰佑はすぐ疲れて寝てしまった。凰佑を抱きかかえたまま妻も疲れ果て眠りにつき、残された俺も寝てしまった。
 目が覚めたとき車の窓の外には海が広がっていた。海岸線に沿って道路が延々と続いているのが正面を向くと見て取れた。道路はそんなに混雑もしていないためスムーズに走っているようだった。
 妻と凰佑は未だに深い眠りについていた。
 「遥征も疲れてんだろ、寝てていいよ」
 父親にそう言われ、なんとなくバツが悪くなった。今一番疲れてるのはずっと車を走らせている父親だ。なのに他に運転できる人間がいないため俺にはどうすることもできなかった。ただこのまま寝ているのも申し訳なく思い、世間話でその場を繋ぐことを選択した。目的地まで久々に親子で話をした。
 正午過ぎくらいに目的地に到着していたが、チェックインにはまだ早いため道の駅でご飯を食べることにした。新鮮な海の幸を使った海鮮丼がオススメと全員同じものを頼んだ。こんなとこでもお子様用のメニューが用意されていて、凰佑は食べるものに困らずにすんだのは助かった。
 食べた後は潮の香りで満ちた外を歩いた。五月に入るこの時期にしてはよく晴れて気温も高く、初夏の陽気で少し暑いくらいだった。大道芸が披露されているその奥ではゴーカートを子どもが走らせていて、それに凰佑が気付かないはずもなく俺と凰佑は二人でゴーカートに乗った。
 その間に妻たちはソフトクリームを買ってきていた。あれだけ車に夢中になっていたにもかかわらずソフトクリームを見るやいなや凰佑はそちらに猛ダッシュして行った。この子は食い気がなによりも強い。
 こんなふうに海を見たのはいつ以来だろうか。海が嫌いなわけではないのだが、子どもの頃に八景島の浜辺で潮干狩りやビーチバレーをしたくらいでいわゆる海水浴の記憶はない。
 八景島に関しては子どもの頃に本当によく行った。家族で毎週のように遊びに行っていた。八景島にある遊園地は、入場料がなく乗り物に乗らなければお金はかからない。他にも水族館もあり、時と場合によってアトラクションを楽しんだり、水族館を楽しんだり、ゲームセンターに行ったりと遊び方のバリエーションが豊富だった。
 小学生も高学年になると友達同士で八景島に遊びに行った。お金があるときはアトラクションを楽しみ、お金がないなら園内で鬼ごっこをするのがお決まりだった。その流れでごく稀に浜辺で遊んだけれども、メインはいつも園内のことが多かった。
 中学や高校になれば湘南の海に行くなどのイベントもありそうなものだが、俺はそうした機会には恵まれず、大学や社会人になっても海に行くことはなかった。
 そのためかどうかわからないが、俺の中で海というとすぐ八景島を思い浮かべてしまう。横浜やお台場などにはそれこそよく訪れたものだが、それらは海辺が近いだけで海とは違う。八景島も似たようなものだが、俺の中ではそこは海だった。
 伊豆に来て海を眺めているのに、俺は夏珠と一緒に八景島で見た海を思い出してしまっていた。