春の雪と夏の真珠(第四十二話)

第四十二話

 寒さは冬を感じさせているものの一度の雪も降らずに季節は流れていく。急に四月並みの気温になったりすると、もう春の訪れかと人も草木も勘違いしてしまう。
 三月に入ると、また冬に戻ったりしつつも徐々に気温が高くなっていくのは毎朝肌に感じる空気でわかる。
 ニュースでは早くも桜の報道もあり、三月末には満開が予想されるとのことだった。
 一週間、また一週間と過ぎ、確実に春が来ている。それは夏を冠する夏珠の気持ちが近づくことで季節も移ろうかのようだった。
 そして保育園の現スタッフ最終日、夏珠は朝方にこちらに到着してそのまま日帰りすることだけを前日に俺に伝えてきた。
 俺もその日だけは明るいうちに保育園に顔を出すことを約束した。
 当日は初夏かと思わせるほど煌めく太陽の元、子どもたちは半袖一枚で駆けずり回るに十分な暖かさだった。
 桜は見事に満開となり、夏珠の本当の最後を讃えているように俺は感じた。
 仕事を今日だけは早々と切り上げ、保育園に向かう。妻も同じく早めに仕事を終えて向かうことになっている。
 月末業務で忙しいはずなのに今日という日のために頑張ったことが報われて誰も文句など言わず送り出してくれた。きっとさぞかし大事な用事でもあるのだと部下や同僚たちから思われているに違いない。
 照りつける太陽はずっと浴びていると軽く汗ばむほどだが、そこにすら夏珠を感じて心地よく思う。
 日が傾いてもまだまだ夜までは長い。明るいうちに俺は約束通り保育園に着くことができた。
 どの親御さんらも今日ばかりは夕方や夜を待たずして夫婦共々と保育園に今までの感謝を伝えに足を運んでいるようで、俺が行った時にもすでに多くの親御さんらが集って談笑に興じていた。
 「パーパー」
 凰佑が俺のことを発見し走り寄ってくる。
 そのすぐそばには夏珠の姿もあった。
 凰佑が走ってくるまでの時間はほんの数秒だった。それでもその数秒はコマ送りのようにゆっくり、俺と夏珠二人の視線を交えるには十分すぎる長さで、様々な映像を目の前に映し出させた。
 どすっと凰佑に抱きつかれて現実に戻るも、そこには温かい空気が流れていた。
 少し遅れて妻が来るまでの間、俺と夏珠は他の先生も交えながら凰佑の成長を語り合った。さすがに二人っきりになるのは難しかったが、もうその必要もないことは自然に感じ合っているようだった。
 妻が到着して夏珠と話をしている。凰佑は先生らそっちのけでお友達と遊びに夢中になっている。
 俺は保育園に植えられた一本の大きな桜の木の下に行き、その儚くも美しい姿に想いを馳せていた。
 思えばこの桜の木の下で夏珠に再会した。別れを告げるのもこの桜の木の下が相応しいと思う。
 木に寄りかかって保育園を見る。
 そこから見える景色は愛に溢れて見えた。
 妻と夏珠と凰佑と、三人が同時に俺の存在を捉えたのを感じた。みんなそろって満開の桜の下に集まる。
 風が吹くとその花びらは雪のように舞う。
 凰佑が夏珠の手を取り俺のそばに近づき、もう片方の手を俺とつなぐ。
 「写真、記念に撮ろう」
 妻がスマホを構えた。
 満開の桜の木をバックに俺と夏珠の間に凰佑が、三人が寄り添って手をつないで立つ。
 春の雪という演出のなか、シャッターは切られた。
 微笑む三人。
 その姿は誰の目にも幸せの絶頂にいる最高の家族のように映ることだろう。