「漂う」(第五話)
第五話
あなたは深い深い海の底を歩いていた。
腕に付けているウェアラブルデバイスは、今が昼前であることと、水深六千メートルに達したことを告げていた。
あなたの外見はおよそ地上を歩いている人々となんら変わりがない。白のポロシャツにビビッドカラーの短パン。ひとつ異なるのは、目には確認できないくらい薄い膜のような特殊素材が全身を覆っているということ。
それはシンギュラリティの産物。それもまた一種のウェアラブルデバイスと呼ばれる最先端最高峰の技術によるものだった。
深海に届く光はない。およそ完全なる闇。けれどもあなたは光を操作できた。あなたを中心に半径五メートル程まで視界はクリアとなる。
それはさながら深海の太陽のようだとあなたはあなた自身のことをそう表現した。
あなたは文字通り歩いていた。あなたの足は足の裏が触れるすべての場所に立つことができた。ゆっくりゆっくりと、深く神聖な領域に足を踏み入れる。
水深八千四百メートル。それより深いところに魚はいないとあなたは言った。それはひとつのミステリーだが、観測されていないだけで魚が存在しない証明にはならないともあなたは言った。
この世界にはまだまだ解明されてない謎が多い。あなたはそのひとつを解き明かすべく海に潜り続ける。
あなたは稀にすべての光を閉ざしてその闇を体感する。
光も音もない世界。デバイスをオンにしないと不思議なことに自分の声すら耳には届かない。
「あー、あー」
間違いなくあなたは発声していても、静まり返る深淵では無力だった。
そのとき、あなたは闇の端に光を見た気がした。
そして次の瞬間、一筋の光が差し込み、目がくらむと同時、爆発的に辺りは光に包まれる。