「漂う」(第十話)
第十話
あなたは海の底とは異なる喧騒の只中で息をしていた。
最先端のデバイスを身につけることなく、目で認識できるほどの濃いタバコの煙に巻かれ焼酎をちびちびとすすっていた。
「海の底の話も興味深いんだけどさ、俺にしたらお前が身につけるウェアラブルデバイスのほうに興味があるよ」
二十五年来の付き合いの幼なじみがそう言う。
「それ付けてたらタバコの煙に目がしみることもないんだろ?」
あなたは海に潜り続けているためか陸の上での生活に多々違和感を感じることが増えてきた気がしていた。
あなたはいつか海の中で暮らしていけるようになりたいと幼なじみに言った。
真面目に取り合ってもらえないかとあなたは思っていたが、彼はそれもできる時代なのかもなとあなたの言葉にきちんと向き合った。
あなたの話をいつだって彼はきちんと聞いてくれた。どんなに突拍子のないことですらも。
ただひとつだけ。どうしてもただひとつだけあなたは彼に話すことができていないことがあった。
あなたは海の底から戻ったら言おうといつも心に決めているのに、陸の空気はあなたを怯えさせた。
あなたは彼が笑うのを眺める。
海の中で見たらもっと眩しく笑顔が輝くのになと思ってみる。
海の中であればもっと自由に大胆になれるのになと思ってみる。
「水族館の講演はうまくいった?」
あなたはまずまずと答えた。
あなたはいつも幼なじみの彼に話しかけるように講演に臨む。たった一人に聞いてもらっているかのように、海の底にいるときのように心を穏やかにして。
あなたは深い喧騒の中にいた。
心を落ち着かせることは難しい。