「雪の瞳に燃える炎」(第二話)

第二話

 三月のバレンシアは日本と比べるとほんの少し温かい。緯度的にはそこまで変わらないし、気候も似たようなものだが、熱いスペイン人が温度を上げているのか、この日も昼間にコートは必要ないくらいの陽気だった。
 白塗りの、高さはないがやたらと大きい建物に到着し、マリオはそこが自分の家ですぐ隣の建物にルイスとファビオも住んでいることを知らせた。
 日本人の感覚からすると、エントランス、階段、廊下とホテルのような造りで妙にお洒落に見える。違うだろうが、壁も床も大理石だと言われたら信じてしまいそうなくらい綺麗に整った印象を与えていた。
 まず光央が驚いたのはマリオの家の広さだった。日本人のワンルームの話から派生したやり取りでマリオがある程度の広さの家に住んでいることは知っていた。けれどもそれは想像以上の広さだった。一人暮らしなのに部屋は三つあり、それらとは別にリビングが光央のワンルームと同じくらいの広さで質の良さそうなソファやテーブル、大型モニターのテレビと優雅にゆったりと置かれていた。
 「え? マリオ一人で住んでるんだよね? 広すぎない?」
 「この辺じゃこれは狹い部類に入るよ。ルイスの家はもっと広い」
 世界は広い。意味はそういうことではなくとも光央の頭にはそんな言葉が浮かんだ。
 子どもの頃に広い一軒家に住む友達の家でかくれんぼをしたことを思い出した。これだけの広さがあれば十分に楽しめる。
 たいした旅でもなく疲れなどなかったが夜まではマリオとひたすら近況報告を兼ねた世間話に花を咲かせた。いつまでも明るい窓の外に改めて今自分が遠い異国の地にいることを感じた。
 夜になってルイスの家に行くと、まず迎えてくれたのは可愛らしい小さな女の人だった。ルイスの彼女であるらしく、ほんのり小麦色の肌にボリュームのある真っ黒の長い髪、身長は日本人でも小さいほうになるサイズで、小動物のような印象の美人だ。遅れて出てきたルイスは、アイロンのいきとどいたぱりっとした白シャツを見事に着こなす貴公子そのもの、非常に画になる美男美女が大歓迎を表していた。
 マリオの情報通り家はとてつもなく広かった。食事の支度ができるまでルイスが家の中を案内してくれていたのだが、マンションの一室なのに部屋の中で二階建て構造になっていた。単純にマリオの家の倍近くあることになる。上の階のベランダはバーベキューができるレベルの広さで、夏はよくそこで食事を楽しむらしい。
 食事はちょっとしたレストランを思わせる見た目も美しい料理の数々が並んでいた。サラダはミニトマトと同じ大きさのオリーブが彩りよく散りばめられ、パンは焼きたてなのかふんわりと湯気が薄くくすぶっているのがわかる。ハムとチーズはイタリアでもよく目にしたものだが、そこには様々な種類のハムとチーズがところ狭しと並んでいた。他にはスペイン人が得意とする、玉子焼きの中にじゃがいもが入っている家庭料理で、これはマリオがモデナで暮らしてるときにもよく作っていた。
 メインとなるのはパスタとお肉。大きめな真四角の真っ白なプレートの中央に、小ぶりながらその存在感を存分に発揮した薄いお肉が何枚も重なっていた。赤黒いソースが美しい幾何学模様のようにかけられ、ぱっと見ではミルフィーユかと思うくらい完成された一皿だった。
 「普段からこれほどのクオリティの料理を?」
 光央は食べるのがもったいないと感じるアートのような料理にじっと見入っていた。
 「彼女は料理がとても上手い。それでも普段はもっとカジュアルだよ。今日は光央が来るから特に腕を振るったんだ」
 ルイスの自然なウインクは映画俳優がスクリーン上でやるしぐさのようだ。その隣では彼女が照れくさそうに謙遜の態度を示していた。
 白のスパークリングワインをルイスたちがアフリカ旅行で買ったというステンドグラス調のピルスナーグラスに注ぎ、準備が整った。心地よいボリュームのクラシックが流れるアットホームな高級感という矛盾めいた空間の演出に光央はすでに酔いしれていた。
 その夜は、光央を除く全員が次の日に仕事にもかかわらず遅くまで優雅な宴会をアットホームに繰り広げた。ほろ酔い気分でベランダに立って感じる風は冷たく、夜空の星も日本で見るものとは違って見えた。