「雪の瞳に燃える炎」(第三話)

第三話

 晴れ男の光央は旅行先でひどい雨に見舞われるということがほとんどなかった。長く滞在していて雨の予報に出くわしても大事なイベントごとでは必ず晴れる。
 今日から五日間、バレンシアの町はお祭りとなる。スペイン三大祭りの一つであるその「火祭り」を見るために光央はイタリアから飛んできた。天気予報に雨のマークは見られず、空にはやはり雲ひとつ見つけることはできない。
 光央はマリオの車に乗ってバレンシアの駅まで来ていた。もう少しゆっくり寝ていたかったのだが、一人でお留守番はさすがに暇を持て余すし、バレンシアに来たばかりで移動手段がわからないため、マリオと同じ時間に出て町の中心まで連れてきてもらった。これからマリオの終業時間を待つことになる。
 「今日からお祭りとは言ってもまだそんなに町は盛り上がらない。ゆっくり観光でもして時間を潰してて」
 マリオの話では「ファヤ」という紙でできた人形が街の至るところに造られているという。そのため、日本では「火祭り」と呼ばれるその祭りの正式名称は、「ファヤ」の複数形で「ファヤス」という。
 光央はそもそも「火祭り」なるものすら知らなかった。検索して、スペインに三大祭りとくくられる大きなお祭りがあり、その一つがこの「火祭り」だと初めて知ったくらいだ。詳細はわからないが街中で何かが燃え上がるらしい。
 「ファヤ」は大小様々だが、小さいものでも人間と同じくらいの大きさはあり、大きいものになると家と同じくらいの巨大さだった。
 普段の人の流れがどの程度なのかわからないので今この辺りに人が多いのか少ないのか光央には判断できなかったが、光央から見た印象では観光客らしき人は多い気がした。
 紙でできたモニュメントみたいなニュアンスを聞いていたため、薄っぺらい簡単な工作くらいに考えていた光央にとって、街を歩くとすぐに目に付いた「ファヤ」という人形のスケールには思わず息を飲むこととなった。
 何の予備知識もなくそれらの人形を見たのならば、それらが紙でできているなどと誰が思うだろうか。ディズニーランドのようなテーマパークで目にしそうなメルヘンチックで精巧な造りのオブジェクトが街のあちこちに置かれている。
 光央は地図を持っていなかったが、時間はあるし最悪迷ったところで会話はできそうだったためひたすら歩いた。おそらく後日マリオとゆっくり「ファヤ」は見て回ることになると思い、極力見ないようにして街の観光に徹することにした。
 市庁舎、教会、広場、イタリアの街並みと似ているようでどこか微妙に違う感じが新鮮だった。歩いているだけでもロールプレイングゲームの主人公になった気分を味わえる。新しい街にて新しいクエストに出会う可能性に胸を踊らせた。
 五歳くらいだろうか、光央の近くにいた小さな女の子がひょいと何かを地面に投げ捨てた。光央からほんの数メートルといった距離に放たれたものに目が行く。次の瞬間、それは大きな音ともに爆発した。
 女の子がきゃっきゃとはしゃいでいる横で光央は心臓が止まるかと思うほどびっくりしていた。別に誰も光央のことなど見ていないだろうが、光央は平静を装い何事もなかったかのように振る舞ってみせる。
 それから先、何度と似たような光景を見ることになり、そして見なくともどこからか爆発音は耳に届いた。どうやら爆竹らしく、多くの人が無作為に投げて楽しんでいた。しばらく歩いてわかったことだが、投げているのは地元のバレンシア人だ。観光客らしき人たちはみな光央と同じように爆竹が鳴るたびに悲鳴をあげている。おそらくその爆竹も祭りの余興の一つなのだろうと光央は理解した。
 光央は広場にあるカフェのテラスで休憩をしつつ街を眺めていた。昼を過ぎた頃から爆竹が鳴る頻度が上がってきたように思う。なんとも無秩序に放たれる爆竹の音は、それぞれが個々のもので一切のハーモニーなど生むことはない。時折、連続的に爆竹がつながるのは偶然にすぎない。それでもその音をきっかけに段々と人々のテンションが上がっていくのはわかる。街の温度が上がっていくのは単純に太陽が強く輝く時間だからというだけではないのかもしれない。
 強い陽射しが眩しくも心地よい。現実から意識が遠のきそうになると爆竹の激しい音にすぐ現実へと戻される。
 けれども不思議なもので、慣れてくると爆竹の音ですら一つの音楽のようにも感じることができた。そんな詩人めいた発想に浸り油断して歩いていると、すぐそばでバンと破裂した。光央は無様にも大きく体を仰け反らせて驚き、恥ずかしい思いをした。そして光央は夜中や早朝にも爆竹が激しく鳴ることを知る。
 マリオの家は街の中心から車で二十分ほど走ったところにある。昨日の時点では静かだったはずと光央は記憶している。だが真夜中にもわりと近くで爆竹が鳴り響き、全然寝付けないでいると目覚ましとばかりにまだ日も昇りきってない頃から爆竹のアラームが豪快に鳴り響いた。
 「マリオ、この爆竹は五日間ずっとこんな感じなの?」
 「段々と、もっともっとエスカレートしてくるよ。これらの個人が投げてるのとは別にショーのような感覚で爆竹が轟くイベントもある」
 「でも夜中や朝方にもやられると眠れないでしょ」
 「ん? そのへんの時間はあんまり聞こえないけど。この辺りなら夜は静かでまったく睡眠に支障は出ない。フランチェスカは街の中心に住んでるからしんどいみたいだけどね」
 光央は驚愕した。マリオにはあの音が聞こえてないという。慣れがそうさせるのか、バレンシア人が特有の進化を遂げたのか。
 「あ、フランチェスカ、彼女もバレンシアなんだっけ?」
 フランチェスカもモデナで知りあったスペイン人の一人で、丸顔、タレ目、アヒル口ナチュラルパーマのかかったセミロングの黒髪を持つ女の子だ。その容姿は光央の心を一瞬で射止めるほどキュートで、光央の好みの女性のタイプそのままだった。声フェチでもある光央にとってフランチェスカの声、また、喋り方、イントネーションなども余計に彼女の可愛さを増幅させ、ほぼ恋に落ちていたと言ってもいいくらいだった。
 「今日は彼女にも会えると思う。彼氏がちょうど出張らしくて暇してるみたい」
 モデナにいた当時、光央は異国にいる妙な高揚感も手伝ってかフランチェスカに真剣にアプローチを試みようかと考えていた。けれどもすぐに彼氏がいることがわかり、告白する前に振られるといった悲劇に見舞われ、軽く一週間ほど本気で落ち込んだ。
 彼氏の存在はもう周知のことなのに改めてマリオの口から出た彼氏という単語にはやはり少しチクリと刺さるものがあった。