「雪の瞳に燃える炎」(第四話)

第四話

 光央は熱しやすい。けれども冷めやすくはない。今でもあわよくばフランチェスカとの関係をと考えてしまっている。それは大学生にもなって未だに異性と付き合ったことがないというコンプレックスが焦らせるものだとも思う。誰でもいいとは言わないまでも、ある程度かわいいと思う子ならばよく知らずとも好きになる。正確には、好きになろうとしてしまう。
 本当の恋愛なんてわからない。
 世間体を気にしただけのステータスとしての彼女なんていらないと思う一方で、やはり童貞を公言できるほどの度量を光央は持ち合わせていなかった。
 「光央」
 そう呼ばれて声の方に振り返ると、大男のファビオが立っていた。そういえば玄関のチャイムが鳴っていた。
 「昨日仕事が落ち着いたら会いに来ようと思ってたんだけど遅くなって来れなかったんだ、すまない」
 大男のファビオは見た目とは裏腹に紳士で優しい。
 二メートルはある長身でゴツゴツした骨格は相変わらず健在だった。体に比べて顔は小さく、大柄なのにシャープな印象を与えている。動きが遅いといった固定観念が通用しなそうな感じだ。
 「じゃあ、街へ繰り出そう」
 光央とマリオはファビオが運転する車で街の中心へ向かった。
 街は昨日よりも賑わいを見せていた。観光客のほか、地元住民も多く出歩いているようだ。車が通れるところが少なくなっていて、遠くに車を止め、中心地までは歩いて行かなければならなかった。
 街の中心に行くと、子どもを抱えた大きなマリア像が設置されていた。ただ奇妙なのは、マリア像の首から下の体はすかすかで、木でできた骨組みの三角形の上に顔と手があるだけだった。
 「お祭りが始まってるのになんであんな中途半端なの?」
 「あれはこれからやるパレードに参加する人たちが一人ずつ花束を持ってきてあそこに捧げるんだ。パレードが終わる頃には完成するから、気長に待ってて」
 街には民族衣装のような独特の服を来た人たちが子どもから大人まで歩いていた。
 「あの服を来た人たちが街を歩いて花束を届ける」
 マリオは慣れているのかなんら珍しいとも思わない口調だった。
 「俺たちも子どもころはあんなふうな格好をして歩かされたよ」
 ファビオは少し照れくさそうに低い声を上から出す。
 色は青、赤、緑、黄色と様々で、腰から下が大きく広がったフレアスカートのドレスは細かな金銀の刺繍が織り込まれ、中世貴族の装いを喚起する。髪飾り、ストール、優雅に着飾った小学生から中学生くらいの女の子が特に多く目に付いた。男の子はというと、執事のような黒ベストで女の子と比べると味気ない。華があるのは決まって女の子なのかもしれない。
 光央がついつい見惚れているところにフランチェスカはやってきた。
 「光央」
 耳に心地よく流れ込んでくるその響きを間違えるわけはなかった。爆竹が鳴ろうが、お祭りの喧騒の只中にいようが、光央はその声を正確に拾った。
 くしゃっと顔をほころばせて笑うフランチェスカに光央は改めてときめいていた。
 「フランチェスカ
 抱き合うと香る甘いフランチェスカの匂い。柔らかく温かい彼女の体温が全身に伝わる。ずっとそのままでいたいと思うころには体は離れている。光央の想いなど露知らず。当然だがフランチェスカは友達として光央との再会を喜んでいるようだった。
 フランチェスカと合流すると光央らはすぐファビオの車に戻り移動を開始した。
 「あれ? もう見ないの?」
 「また四日目、五日目ともっと盛り上がってるときに見に来よう。今日は美味しいパエリアとカフェでまったり」
 マリオは得意のシニカルな笑みでみなを引き連れていく。
 「ふぅー。もうホントあの祭りには息が詰まる」
 街の中心からは離れ、まもなく目的地に着くよとファビオが言うのに応えるようにフランチェスカはたまっていたであろう思いを吐露した。
 「地元の人はみんな愛するものなんじゃないの?」
 光央は街が盛り上がるのを見て素直にそう思っていた。
 「全然。私は嫌い。毎年毎年朝から晩までバンバンバンバン、バンバンバンバンとうるさいったらない。夜なんて眠れやしない。誰もがお祭りの間に仕事を休めると思うなって感じ」
 フランチェスカの家はさっきのマリア像のすぐ近くだそう。連日観光客に加えてさらに盛り上がる地元民の大喧騒にはうんざりしているという。
 光央は自分が同じ状況ならあっさり五日間でノイローゼになる自信があった。フランチェスカの気苦労も十分に理解できた。
 車が止まり外に出ると、潮の香りが強く感じられた。建物で見えなかっただけで、すぐに視界いっぱいに海が広がる。陽射しがあるとはいえ海風は強く、春の格好では少し肌寒い。さすがに海で泳いでいる人の姿は見られなかったが、誰も泳いでいない海はただただどこまでも広く雄大で、太陽に反射してどんな宝石でも叶わない輝きを放っていた。
 そんな海を望める最高のロケーションにログハウスのような丸太で造られたお店があった。そしてマリオはそこに入っていく。
 「メニューはパエリアしかないよ」
 店内は大きめのテーブルがランダムに並び、真っ白なテーブルクロスがすべてにかかっていた。港を思わせる内装で、白を基調とした清潔感のある空間だ。壁にかかる絵はどれも海をモチーフにしたものが多く、汽笛の音やカモメの鳴き声が聞こえてきそうな感じがした。店内には食欲をそそるいい匂いが絶妙に立ち込めている。
 程なくして運ばれてきたのは、大柄な男の人が両手いっぱいに広げて持つパエリア独特の平たく薄い鍋だ。完成した品をお披露目するパフォーマンスで、出来立てなのか鉄板の熱の音が聞こえてくる。その音色に合わせて小麦色にこんがり炒められた具材が余熱で踊るようにぐつぐつと自己主張している。等間隔に円を一周カットレモンが置かれていて、その場を引き締め統率しているようにも見えた。
 一人分のお皿に盛りつけされたものを見ると、海の幸が惜しみなく使われていた。添えられたレモンで味を変えながら飽きることなく、お腹がいっぱいになるのも忘れて食べ続けることができた。
 日本人に限ったことではないのかもしれないが、料理は本場で食べると美味しく感じると思う人は多い。特に日本人はそれが顕著で、旅の先々で、「やっぱ本場は違うね」とよくわかりもせずに舌鼓を打つふりをする。光央にもその気持ちは理解できるが、今食べたパエリアは本場がどうこうでなく、美味いの一言以外に適切な表現が見つからない。今まで、生涯で食べてきた料理で一番美味しかったんじゃないかと思うくらい、満腹でもまだ食べたいとなる一品だった。
 美味しいものを食べると人は幸せになる。テーブルを囲む誰もが自然と饒舌になり、改めて久々の再会の喜びを分かち合った。
 ゆっくりとパエリアを食した後、光央たちはそのお店からさらに海岸線を歩いた。手に残るほのかなレモンの香りが満腹の幸福感をいつまでも感じさせてくれた。