「オシャレ貧乏」(第一話)

第一話

 銀座の敷居はかなり下がったと僕より少し上の世代は言う。
 敷居が高かったと言われた当時、ただ街を歩くことすら見栄えを気にしてしまうというほどだったらしい。庶民的な、いわゆるカジュアルな服装で銀座の街を歩くことは普通の感覚をしていたらとてもできないことだったそうだ。
 あまり想像できない。
 通りのガラスに映る自分を見る。オンとオフの中間、よほどフォーマルな場でなければ対応できそうなくらいの服装。そんなふうに自分の格好を分析した。
 「街から出ていけ」
 この格好は昔であればそう門前払いを受けたのだろうか。
 ようやく残暑の熱も日本列島の地から冷めていったようで、朝晩はひんやりと冷たい空気も感じることができる季節になってきた。陽射しが強い昼間はそれでもまだ汗ばむときもあるが、吹き抜ける風にはしっかりと秋が乗ってきていた。
 平日の昼間だというのに銀座の街を歩く人は多い。外国人観光客の姿も目立っている。蛍光のどぎついピンクのウェットスーツのようなものを着て、小学生が背負いそうな安っぽいリュックを背にした二人組はおそらく中国人だ。どういうわけか彼らは日本人の美意識やファッションセンスとは相容れない感覚を持っているようで、銀座でなくともそれはちょっとという格好をして平気で街を闊歩している。
 あの姿を見ると、自分の格好は至って常識の範囲内に留まるものだと安心する。
 街の開発が進み、外国人の認知度が上がってきたことが日本人に対しても街の敷居を下げる結果になったのかもしれない。それでも通りに連なるテナントは超が付くほどのハイブランドばかりだ。このあたりが恐らく庶民と隔絶した敷居の高さを想起させるところなのだと思う。
 それは僕にとっても同じ。日常の世界と非日常の世界を店舗の重厚なガラスの扉が分け隔てている。
 どのお店にも格式高いスーツを着たドアマンが目を光らせて来店するお客様を迎え入れている。来るものは拒まずの精神は持ち合わせてくれているようだが、お店のレベルに見合わない人はお断りしますと暗に宣言されている気がする。入るにはかなりの勇気を要する。
 たぶん僕だけではなく、日本人の普通の感覚であれば、ラフな格好でこの手のハイブランド店に入ることは気が引ける。そんな難攻不落な砦を守る門番の睨みをものともせず先ほど見かけた蛍光ピンク二人組がブルガリに攻め入った。
 僕は思わずその勇姿に見惚れてしまった。呆れるというよりも尊敬に近い。お店の前を通過し、通りを挟んで来た方向に戻る。さも待ち合わせをしているかのようにスマホを見ながら立ち止まりブルガリに目を向けていた。時間にして三十分くらい僕はそのまま立ち尽くしていたことになる。すると、蛍光ピンクの二人組が出てきた。砦の領主と固い契りを交わしたかのように、門番の態度は明らかに変化していた。丁重な日本特有のおもてなし力を発揮して彼らを外に導き、その帰途を精一杯の感謝の気持ちでお見送りした。
 僕は確かに見た。蛍光ピンクが攻め入ったときに門番がした一瞬の警戒心全開の表情を。だが、今は和やかそのもの。見送られた蛍光ピンクの二人組の手には、戦利品か友好の証か、大きな紙袋が二つ携えられていた。そこには真っ白なアルファベットによるロゴがシンプルに漆黒の中に刻まれていた。