「オシャレ貧乏」(第三話)

第三話

 トラブルが起きて会社を辞めるまではあっという間だった。
 梅雨入りが宣言されたというのにほとんど雨が降らない空梅雨の六月。全然雨が降らないという印象のなか、その日に限っては本降りの雨となった。
 朝、出勤するときから陰鬱とした嫌な感じは否めなかった。特別悪い予感がしていたということでもないが、気分は乗っていなかった。仕事が嫌だとか、人間関係にストレスを感じるとか、悩むことはなかったため、前日のスロットの負けが影響しているのだと思った。二千円ほどで当たりを引き、調子に乗って打っていたところ、気がつくとあっさり呑まれそのまま大きく負け越していた。止めどきがわからなかった。負けていてもその演出が楽しかったというのもあった。結局ただでさえその日暮らしのかつかつな生活をしてるというのに、三万円もの大金が消えた。
 ギャンブルが好き過ぎて止められないなんてことはない。元々そんなにやったりしない。たまたま友人が大勝ちしたのを耳にして意外と簡単に稼げるのではないかと暗示がかかってしまっていたのだろう。
 銀座も当然ながら雨が降っていた。そこにも朝から暗い世界が広がっていた。朝の銀座は優雅な装いのセレブは少なく、有楽町を中心とした会社員たちでごった返していた。すれ違う人の傘から滴る雨に濡れたり、水たまりを勢いよく踏み込んでしまったり、ささやかな不幸が積み重なっていった。会社に着くと、不幸のゲージがマックスに溜まったボーナスとでも言わんばかりの不幸が舞い降りた。
 席に着くやいなや鳴り響いた電話は、注文した物が届いてないとの連絡だった。
 僕は注文を電話で対応し、そのデータを飛ばす役割を担う。よくあるのは、データに基づいて物を用意してなかったという僕の次の役割の人間のミスや、配達する係の人間が積み忘れたというもの。注文を聞き漏らすことだけは絶対にない仕組みをこの会社は作っていた。注文の電話はすべて録音され、その場で復唱し、注文を確認した後、再度二回に渡って録音テープから注文を確認する。その際にもし曖昧な部分があればすぐ確認の電話を入れる。さらに加えて、取引先へすぐに注文内容を明記したメールが送られることになっている。
 僕が対応したのはある居酒屋の注文で、土曜日に生ビールの樽を注文したはずとのことだった。配達は毎日されていて、注文した翌日に配達される。僕は土曜日のその居酒屋からの注文を確認すると、いくつかのリキュール類が頼まれてあるだけで生ビールの注文はなかった。その旨を丁寧に伝えたのだが、絶対に注文していると言う。聞くと、土曜日の段階で残りの樽は少なく、注文してないはずはないと。おかげで日曜日の営業でビールが提供できない時間帯があった、どうしてくれるんだと。僕からしてみれば居酒屋が樽一つになるまで発注をかけないその姿勢が駄目なんじゃないかと思ったが、そんな火に油を注ぐような発言はできない。
 土曜日の電話の記録を確認する。今かけてきている電話の主と同じ声で注文が聞こえる。やはりそこには生ビールの注文はない。僕は自分たちの会社が注文を間違えないようにしている仕組みを伝え、こちらに落ち度がないことを告げた。だが、相手が取った行動は信じられないものだった。
 「あんたが注文を聞きそびれて発注し忘れたのに気がついて電話の記録を消したんじゃないのか」
 僕にはそんな音声編集技術はない。どうしても居酒屋の店員は自分が注文してないということを認めなかった。
 「もういいから責任者を出せ」
 かなり長いこと話した挙句に上の者に引き継げと言われた。僕は仕方なしに一番近い信頼のある上司にお願いした。だがどうやら最高責任者につなげとのことらしく上司はすぐに一番上につないだ。
 朝から不穏な空気が会社に流れた。じとっとした雨の香りが立ち込める社内の誰もが厄介なことになったなという顔をしていた。
 結局、居酒屋側の怒りは収まらなかった。最初に対応した人間、つまりは僕の対応があまりに最悪だと言いがかりをつけてきたそうだ。僕を解雇しなきゃ契約は切るし、他の店舗にも契約を切るように根回しすると脅迫めいたことまで言ってきたらしい。らしい、というのは、僕が直接そう聞いたわけではなく、信頼ある上司がこっそりとそう教えてくれたからだ。その上司はこちら側に過失は絶対にないわけだし、全面的に闘ってもよいのではと上の人間らに取り合ってくれたようだが、その労力は無駄であっさり僕という人間を切り捨てたのだった。幸か不幸か僕は会社の中では下っ端であったし、そんな下っ端を一人切ったところで補充はいくらでもきくと判断したのだろう。
 驚くべきことにその知らせが僕に届くまで一日しか要さなかった。いや、むしろその日にもうそれとなく話は伝わってきていた。次の日に届いたのは僕個人の都合で辞めるという形にしてくれという、どこまでも無機質で冷たい事務的なものだった。
 僕は六月いっぱいで辞めることになった。こうもあっさりと切られるといっそ清々しいとさえ思ったほどだ。理不尽な辞令には逆らう気も起きなかった。
 七月に関しては月末に給料が払われるため八月を過ごすお金に問題はなかったが、八月末にお金はもう支払われない。そして退職金は九月末になるとのことだった。しかも勤続三年で自分の都合でということと、冤罪に近いとは言え会社に迷惑をかけたということで、額は十六万ほどだという。
 挙句の果て、書類に不備があったからそれを直さないと支給されないとかなんとか。
 今現在、僕はまだ無職だ。来月からは失業保険が給付されるようだが、その金額もたかがしれている。七月からというもの、社会に対する軽い鬱状態みたいな症状が出てしまい、やる気がほとんど起きなかった。そんななかでもできることはないかとしていたのが街の散策だ。何をするともなく街を歩くことは昔から好きだった。
 僕はひたすら歩いた。歩けば何か見つかるかもしれないとも思ったからだ。僕は会社を辞めてからも度々と銀座を訪れた。僕はなんだかんだと洗練されたこの銀座が好きだった。改めて人生をやり直すために何がやりたいのかと問われてもすぐに答えは出ない。前にいた会社にだって入りたくて入ったわけではなかったし、結局僕は人生の負け組街道を行く運命にあるのかもしれない。これこそが負け犬を決定づける思考だと自覚していた。だからそれに抗う方法としてわずかな希望をかけて僕は歩いていたのだろうと思う。
 銀座、六本木、表参道、青山、渋谷、代官山、恵比寿、自由が丘、など、僕は無意識に選んだ街を見てふと気がついた。
 僕はオシャレが好きだ。好きだった。学生の頃は親のすねをかじってファッションにはかなりこだわっていた。良いものを着ようというよりは自分のセンスを磨く練習をしていた。
 社会人となってからは生活だけで精一杯で、まったくオシャレと縁がなくなってしまった。今思えばそれも自分の意志力の弱さが招いたものだと思う。オシャレは決してお金持ちだけの特権ではないのだから。
 会社からの帰り道、銀座のアルマーニに入っていく中国人らしき三人組の男たちを見た。見た目にはお世辞にもオシャレとは言えない格好だし、風貌も冴えない。けれども彼らはなんの躊躇もなくアルマーニで買い物をして出てきた。
 ファッションの基準とはなんだろうか。似合う似合わないを優先しがちだが、それよりも自分がそれを本当に着たいか着たくないかという視点もある。自分には似合わないと思って手に取ることができない服は多い。ハイブランドになると似合う似合わない以前に、そのレベルに自分が見合わないと尻込みをしてしまう。
 そのとき僕はなんとなく思った。オシャレを徹底的にしてみたらどうだろうかと。お金がないからとか言い訳しないで、ないならないなりに捻出してみようと。自分が本当に着てみたいと思う格好をしてみようと。
 僕はまずアルマーニのスーツを買うと決めた。
 かねてから欲しいと思っていたのにお金を理由に諦めていた。今までの僕であればこの格好で店舗に入ることをためらっていただろうが、僕は意を決して洗練の極みであるその空間に足を踏み入れた。