「オシャレ貧乏」(第四話)

第四話

 アルマーニのスーツをその場で買うことを決めた。
 細かな丈の調整などがあったため、引き渡しは後日となった。そして今日そのスーツを取りに再び銀座のアルマーニに足を運ぶことになっている。
 気持ちがいいくらいに晴れ渡り、秋めいてきたとはいえ夏の名残がしっかりとある。
 何かを特別意識したわけではないが、前回来たときよりもややフォーマルでシンプルな格好にした。その辺りはやはりまだ日本人としての変な意識に囚われているようだった。
 僕が選んだのは、アルマーニの「黒ラベル」にライン分けされる種類のもので、縦にストライプが刻み込まれた茶系のフランネルスーツだ。一般的に「黒ラベル」はお金持ちが着る印象が強い。かなりかしこまった場でしか着ることができないようなイメージもある。そんな中、僕が選んだものはその淡い色使いや、ストライプ、全体のシルエットデザインなど、遊び心が見て取れるもので、普段からこれくらいのスーツを着こなせるようになれたらとの願いを込めて購入した。価格は二十三万ほどで、一ヶ月分の給料をごっそり費やしたことになる。
 家に帰りすぐに新しいスーツに袖を通す。フランネル素材という柔らかく暖かい毛織物は、保温性が高いことが特徴とされる。それでいて着心地は軽い。秋冬物なので今の季節ではまだ少し早い気もするが、この先々で大活躍してくれるだろう。
 これはなりたい自分への先行投資だった。かなり背伸びをして買ったものだが、形から入ることもモチベーションを上げるには有効だと思う。実際、これを期に常に成長していく自分を思い描き生きていこうと決心できた。
 僕は改めてモード関係の仕事に興味があることを知った。ファッション業界に関しては就活中も視野に入れていた。ただどこも厳しい現実を突きつけられ、ファッションに興味ある自分を言い訳のように封印してしまっていた。
 当時駄目だったファッション業界に今の自分が入り込む隙などないことはわかっている。けれど、駄目と決めつけていては何も行動できない。アルバイトからでもいいから関わってみようと僕はアパレル系の店舗の応募を探してみた。
 場所にこだわるつもりもなかったのだが、銀座に三月末にできたばかりの新しい商業施設があり、そこに出店しているセレクトショップで働けることがあっさり決まった。
 メンズの物を中心に取り揃えているお店で、ハイブランドまではいかずともそれに決して引けをとらない大人のこだわりをテーマにしていた。審美眼が試される大人の嗜みを売りにした感じで、二十坪ほどの店内を包む雰囲気はワンランク上を意識した洗練されたものだった。
 僕はそこで販売員として週四で働くことになった。常にいるのは僕のほか、店長かオーナーさんで、たまにもう一人バイトの女の子に顔を合わせるというわずか四人で店を回していた。店長もオーナーもちょいワルおやじを絵に描いたようなダンディズムの持ち主で、スーツの着崩し方が絶妙だ。服装にこれといった指定はなかったが、僕もそれにならって早速とアルマーニのスーツを来て働いた。
 業務自体は難しくなかった。在庫の出し入れや整頓、お客様の対応とレジ打ち。お店のコンセプトを理解し、お客様のニーズに応える。
 面接をしてくれたのはオーナーのほうで、だいぶ慣れてきた頃になぜ僕のことを採用してくれたのか聞いたことがあった。
 「ぶっちゃければ誰でも良かったんだ。それでも一応さ、店の品格ってのもあるだろ。そんなときアルマーニのスーツを着てた辻村くんは俺の心を掴むには十分だった」
 「着られてる感があるとは思うんですけど……」
 「でも着ようとする意志みたいのが感じられた。ただの背伸びとは違う、意図のある背伸びだと俺は思った。だから他にも何人か面接はしたけど辻村くんに決めたってわけ」
 オーナーは笑うが、その笑顔にも威厳があり、オーラがある。かなりの審美眼の持ち主であろうこの男に選ばれたのならば自信を持ってもいいのだと思えた。
 「応募かけてもなかなか引っかからなかったからさ、給料を少し高めに設定したらかかるかかる。でも良い奴ってのは来ないもんでね。でも妥協しなくて正解だった」
 そこまで言われると買いかぶり過ぎではないかとかなり面映ゆい。けれどもいい刺激にはなった。そのイメージに沿う人間にあろうと努力する強い気持ちがしっかりと自分の内側にあるのがわかった。