「オシャレ貧乏」(第五話)

第五話

 仕事は朝九時から夕方六時までの週四日間からスタートした。時給だがオーナーの羽振りがよく、売上に応じてちょくちょくと手当を付けてくれた。このペースならばここだけで十五万ほどの収入になりそうだった。けれども会社勤めをしていた頃と比べると同水準でも福祉手当に欠く分これだけでは少し生活は苦しい。
 ざっと生活費を計算してわかったのは、一ヶ月で十五万くらいは最低残しておく必要があるということ。必要な生活費すら知らずに生きてきたとは我ながら呆れた。今までは外食ばかりでお金に対する意識が低かったこともあり毎日がかつかつだった。だがこれからはもっとかつかつになろうと決めていた。給料のほとんどをオシャレに充てると決めたからだ。
 家賃七万はすぐには動かしようがない。まずは光熱費を五千円で押さえ込んだ。本当に必要な状況以外に部屋の電気は点けない。テレビなども見る必要性がないことに気が付き処分した。水道は基本中の基本だが、出しっ放しは注意し、風呂は最低限のシャワーで済ませた。ガスに関しては自炊をするために頻繁に使わざるを得なかったが、時間があるときにまとめて作って冷凍をするという荒業で抑える努力を重ねた。食費はもっとも難しいのかと思っていたが、やってみると案外簡単だった。飲み物は水やお茶に限定した。バイト先のテナントがある大型施設の休憩室に常備されている給水器から出る水やお茶を水筒に入れさせてもらった。米だけはなぜか親が事あるごとに送ってきてくれたことがかなり幸運だったといえる。度々とオーナーがご馳走してくれるのも家計にはかなりプラスになった。結果、食費も一ヶ月だいたい五千円でやりくりできた。携帯代は七千円。ここは落とし込める部分ではあったが、情報収集のツールがスマホしかなかったため妥協した。
 バイトをもう一つ夜に行い、三万円から五万円ほどを稼ぎ、月の収入を二十万にした。これで自由に使える金額が十万になる。ここに失業手当が十万ほどで、直近の三ヶ月は二十万のオシャレができることになる。
 そして、僕はスーツ一着とコートを、そして、靴を二足を買った。
 年末に近づくにつれ当然のことながら寒さは厳しくなってきた。高級スーツに見合うコートを持っていないことに気づくのが遅すぎて随分と寒い思いをした。
 買ったばかりのコートは体だけでなく、自分を高みにつれていってくれるようで心までも温かくしてくれた。
 「辻村くん、おはよう。お、相変わらず身だしなみがいいね。そのコートは新調したのかな?」
 店長が一瞬で気がついた。オーナーと並び彼の物を見る目もかなりのものであるということは一緒に働いてすぐにわかった。
 「はい。良いものにしようと思って。これまた背伸びではあるんですけど、目下テーマは、なりたい自分になる、なので」
 上質なコートに包まれているとはいえ寒いものは寒い。凍てつく寒さに悲鳴を上げていた体は施設内の行き届いた空調の暖かみにゆっくりとじんわりとほぐれていく。
 オーナーも店長も僕のストイックなまでの上質思考たるものを変な目で見ることは決してなかった。むしろ好感を抱いてくれているとさえ思えた。頻繁に大人の嗜みをご教授してくれたし、数々のアドバイスは参考になるものばかりだった。
 「いいね。なりたい自分になる。ファッションは似合う似合わないという観点ももちろん大事だけど、やはり本人が好きなように誰に文句言われるわけでもなく自由に表現して然るべきだと僕は思うよ」
 そう言う店長のコーディネートはいつも本当に洗練されている。一言で言い表すならば、シンプル。スーツも着れば、オフィスカジュアルなスタイルもする。まったくのカジュアルなスタイルもあるが、基本全身を黒で統一しているため、どのスタイルでも上品なシルエットとなる。いつも黒の服だが、見る人が見ればそれがこだわり抜いたセンスを光らせたアイテムによるスタイルだとわかるだろう。まったくオシャレのセンスがない人でも店長は格好が良く見えるはずだと思えた。
 今日も黒のタートルネックの上にスーツジャケットを重ね、大人の魅力を存分に引き立てていた。
 「オーナーも同じようなことを言ってました」
 「僕よりも自由度が高くて、より柔軟なスタイルを持ってるからね。あの着こなしはいろいろと参考にしたらいい」
 「いえ、僕なんてまだまだ全然無理ですよ。大人の魅力ゼロですから」
 店長は笑う。
 「服に着られてるなんてよく言うけどさ、気持ちよく着てあげていれば気づいたときには違和感なんてなくなってるものだよ」
 僕が形から入っていることをわかっての発言だろうか。それでも彼らから言われることには嫌な印象はまったく感じない。
 「あ、ごめんごめん。でも辻村くんはセンスいいよ。今は単純に経験値が足りてないから、すっと服が本来持つ力を押さえ込めてないというか、うまくコントロールできてないイメージかな」
 「経験値ですか?」
 いまいちピンとこなかった。
 「何事にも経験値は必要だからね。もちろんそんなの差しおいて最初からすっとはまってしまう天才肌の人間がいるのも事実だけど。ゲームで置き換えてみようか。モンスターを倒して貯めたお金で一番高い防具を買ったんだけど、レベルが足りてなくてそれを装備すると却ってステータスが落ちるみたいなことあると思うんだ。あと、ゲームなんかではレベルに応じていきなりスキルや魔法が使えるようになるけど、現実的にはこつこつ経験値を増やしてある程度の練習は必要でしょ? だから辻村くんも段々とスタイルがかちっとはまってくるようになる。良いものを良いと判断できる目は持ってるんだから」
 「なるほど。わかったような気がします。でも宝の持ち腐れみたいなことにはならないんでしょうか?」
 これに対して店長は優しく微笑みかける。
 「君は努力してるからね。しかも自然に楽しんで努力してる。ただ高いお金を出して良いものを着て満足してるのとは違う」
 素直に喜んでいいんだと思うが、これで調子に乗ってはいけないと自分を戒めた。
 店長の声が少し小さくなったのは店内にお客様が何人かいたからだった。参考になる話に夢中で仕事に集中できていなかった。
 店長と同年代くらいだろうか。当たり障りのないビジネススタイルの男性と、僕より少し上くらいのややこの店とはカラーが違う格好の男性がいた。
 どんなお客様でも、お客様ではなくても一人ひとりのファッションにすごく注目するようになっていた。