春の雪と夏の真珠(第二十八話)

第二十八話

 「意味なんてないよ。気持ちはわかるけどね。日本人の一億分の一を引き当てたみたいな発想でしょ? そこに何かしら意味を見出したいのもわからんでもない。でも意味なんてない」
 すっぱり言われた。歩く恋愛コラムニストのこの男なら運命論的なものを口にすると思っていたのに。
 「いや、運命ではあると思う。というか、出会いなんてすべて運命だよね。毎日すれ違う人間でさえ確率でいえば一億分の一。もっと厳密にいえば七十億分の一なわけだし」
 「でもそこに意味を見つける必要はないと思う。それこそなんの意味があるの? それって好きな理由を無理くり探してるのと一緒なのでは?」
 「君の気持ちはどうなの? 本当に好きならばその好きに理由なんてないだろうし、出会った意味だとか悩むことないと思うんだけど?」
 「どちらかを選ばなければいけないって発想が残念で仕方ない。でも困ったことにどれだけ想いの本気度を訴えたところで世間的な認識は不倫だろうから」
 「君は隠しておけないだろうから。性格的にはっきりとどちらかを選択して双方にそれを告げる。ま、奥さんを選ぶのならば余計なことを言う必要もないかもしれないけど、君は何かしら罪の意識とか言ってそうだよね」
 「彼女のほうを選択する場合、君はけじめをつけるだろうけどそうなると法的にもいろいろ大変だ」
 「幸せと不幸せは表裏一体なんだよ」
 いっそ恋愛指南書でも書いたらどうなのかと言いたくなる。今回も前回と同様に最初に俺が概略を説明すると、あとはひたすら恋愛論の講義が始まった。
 お店は前回とは違うところで、オシャレな地中海料理を提供する雰囲気からして高級そうなレストランだった。それでも開放的な席の造りで個室感はない。声高にこの手の内容を話すのも聞くのも少し周りの目が気になってしまった。
 だが店内は賑わっていた。騒がしいという意味ではなく、すべての席が埋まり、各テーブルにそれぞれの物語があり、見えない壁に包まれている。そんな感じだった。
 「ごめん、ずばり聞くんだけどさ、もし俺と同じ立場だったらどんな選択をする? 嫁? 彼女? 両方?」
 ぶしつけな質問だ。でもわかりやすい意見が聞きたかった。
 「俺は結婚をしたこともなければ子どもを授かったこともない。だから厳密には本当にその状況で今と同じ考えでいられるかは断言できないけど、ま、両方を選択するだろうね。両者に強い運命を感じている。どちらも自分にとって必要だ。その想いを両者にぶつける。それで両方とも去っていくならそれまでだ」
 「それ本気で言ってる? どちらも手放すことになるかもしれないのに」
 「それもまた人生。そのときはどちらも運命のもとになかったってことなんじゃないの?」
 聞いておいてなんだがあまり参考にならない。俺にはとても真似できない。結婚して子どもを持つことは責任が伴うことだと思う。そんな簡単に、いくら自分の人生だからといって諦めたり手放したりしていいと思えない。
 「俺にはどんなに本気を伝えたところでそんな二股まがいなことを納得してくれる女性がいるとは思えないんだけど」
 「それは君が考えることじゃない。女性が決めることだ。答えはいつだって女性が教えてくれるんだから」
 今こうして店内で食事を楽しんでいる人たちに、どれくらい似たような悩みを持つ人がいるのだろうか。たくさんの笑顔がここにはある。でも心から笑っていないものが混ざっているのだろうか。
 三割が離婚するのは周知の事実となりつつあるが、三割の妻が恋人を持つらしい。俺の妻はどうなのだろうか。もし妻が今の俺と同じ立場にあったとして、それを知ったとき俺は妻に対してどういう態度に出るだろうか。
 浮気じゃなくて本気なのと言われても納得できないと思う。俺のことは愛しているけれど彼のことも愛してると言われたところで、じゃあ三人で仲良くしていきましょうなんて言えるだろうか。そんな心の広い人間がどれだけいるのか。
 でも、と俺は思う。俺は妻と付き合う当時、心の中に夏珠が住まうことを妻に見抜かれ、結果その一途なところを買われた。妻はその手の理解がある人間なのだろうか。
 結局今回も相談をするものの明確な答えは見つからないまま終わってしまった。
 「簡単な問題じゃないからね。君の場合は俺のような考えができないわけだからもうどこかで割り切るしかないよ。ま、振り出しに戻ってしまったような感じだが、どちらか一方を選択する。これだけだ」
 俺は今はっきりと自覚している。俺は夏珠が好きだ。ずっとずっと好きだった。夏珠とは公言してなくとも俺は妻にその心の存在を打ち明けていた。そしてその存在が現れた。
 妻は俺の心に他の誰かがずっと居ることを知っている。それでも俺といてくれている。それなのにそんな妻を捨てるのか。
 十四年離れてなお心が通じ合っていると思われる相手。夏珠を選択したら俺は幸せかもしれない。でも残された妻のことを考えてしまう。夏珠にだって罪の意識が芽生えないとは思えない。矛盾じみてるが夏珠も俺が妻と別れることを望んでいるとは思えない。
 夏珠のことを想うからこそしっかりと向き合って別れをしなければならないのかもしれない。