2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

春の雪と夏の真珠(第三十二話)

第三十二話 目が覚めたとき自分がどこにいるのか、現実なのか夢なのかさえまったくわからなかった。時間をかけてやっと今自分が自分の部屋で寝ていることに気がついた。見慣れた景色のはずが妙に異質に映る。 外は明るく、目に入る時計の針はまもなく三時に…

春の雪と夏の真珠(第三十一話)

第三十一話 季節は流れ、本格的な冬の訪れも近い十一月となり街はイルミネーションで鮮やかに彩られ始めていた。 そんななか俺は未だに夏珠に対して明確な返事もしないままでいた。俺自身がダメな男という点はまさしくその通りだが、夏珠の方でも俺にちゃん…

春の雪と夏の真珠(第三十話)

第三十話 夏珠がいなくなるとあっという間に梅雨が明けた。痛烈な日差しを送り込む夏が訪れた。 俺の生活は何も変わらなかった。夏珠に会えないというのは残念なようでいて少しほっとするようでもあり、夏珠のことを考えるたびに複雑な想いに苛まれた。 毎年…

春の雪と夏の真珠(第二十九話)

第二十九話 それから一週間が過ぎた。 運命のいたずらか、避けられているのか俺にはわからない。ただ夏珠と顔を合わせることがなく月日が過ぎていった。 もともと送り迎えの頻度としては妻のほうが多い。保育園で夏珠を見る機会は少なかったわけだから会えな…

春の雪と夏の真珠(第二十八話)

第二十八話 「意味なんてないよ。気持ちはわかるけどね。日本人の一億分の一を引き当てたみたいな発想でしょ? そこに何かしら意味を見出したいのもわからんでもない。でも意味なんてない」 すっぱり言われた。歩く恋愛コラムニストのこの男なら運命論的なも…

春の雪と夏の真珠(第二十七話)

第二十七話 カーテンを開け放っても眩い光は俺の目に届かなかった。どんよりと黒い曇り空が広がり、今にも雨が降りそうだった。 休み明けだというのに今しがた仕事を終えたかのような疲労感が残っている。胸は空しさを感じている。 夏珠との時間。 あの東屋…

春の雪と夏の真珠(第二十六話)

第二十六話 濡れた地面が太陽を反射して眩しい。目を細めて初めてしっかりと晴れ間が出てきていることに気がついた。 「そんな感じかな。で、今に至る」 俺はすぐに言葉が出てこなかった。こういうときなんて声をかけたらいいのだろう。 「このストラップ、…

春の雪と夏の真珠(第二十五話)

第二十五話 「残りの大学生活は特筆すべきエピソードは特にないなあ。 単調な毎日。でも目を閉じると瞳の奥には遥征くんがいる。姿こそ高校生の状態で止まってはいたけれど、無理に忘れることを止めた私はそんな毎日でも幸せだった。 『えー、なっちゃん、そ…

春の雪と夏の真珠(第二十四話)

第二十四話 夏珠の話にのめり込む自分がいた。時間、空間、身の回りのすべてがたゆんで見える。夏珠はそんな俺を見て一度間を取った。 「ごめん。続けて」 再び二人の世界にのめり込んでいく。 「遥征くんの実家には毎年行ってたんだけね。けれど一度として…

春の雪と夏の真珠(第二十三話)

第二十三話 雨に包まれた空間が肌寒いわけではない。緊張とも違う。それでも俺の体は震えていた。 俺の話が終わると夏珠はそっと俺の手を取り、握ってくれた。過去にいつだって俺が不安や悲しみにくれているときそうしてくれたように。 「ごめんね。ずっと苦…

春の雪と夏の真珠(第二十二話)

第二十二話 急に強い雨が降ってきた。ちょうど住宅街の一角にある小さな公園に差し掛かり休憩にぴったりの東屋が目に入った。中心に木で丸く椅子が設えられていて、俺と夏珠は雨に濡れないようにできるだけ東屋の中心の椅子にぴったり寄り添うように座った。…

春の雪と夏の真珠(第二十一話)

第二十一話 ほんのしばらくの間、いや、かなり長い間だったのか。俺は無意識の狭間で動けなくなっていた。精神的にきてしまっていたようだ。 意識をしっかり持ったときにはすでに夏珠の姿は俺の前から消えていた。今までの事が夢だったかのように、夏珠とい…

春の雪と夏の真珠(第二十話)

第二十話 付き合っていた頃、雨の日の散歩のとき夏珠は雨についてあれこれ説明してくれた。特別感心するほどのうんちくがあったわけではなく、ただただ見える世界を丁寧に描写して、一面的に見ていた俺にいろいろ気づかせてくれた。 慣れてくると、雨の日の…

春の雪と夏の真珠(第十九話)

第十九話 五月最後の週の日曜日はあいにくの雨だった。例年よりやや早い梅雨入りとなったようで、この先もしばらく予報に雨マークが並んでいた。 晴れていれば少し散歩でもと思ったが、この雨では歩くのも億劫だと思った。午前はカフェで時間を潰し、ランチ…

春の雪と夏の真珠(第十八話)

第十八話 これから梅雨を迎える。昼の暑さとは打って変わって夜はまだひんやりすることもしばしばだった。ビール一杯ではほろ酔いすら感じないが、肌に受ける風は冷たく心地よかった。 恋愛を糧に生きるモンスターとの対談はほぼ言葉の一方通行で幕を閉じた…

春の雪と夏の真珠(第十七話)

第十七話 六月の梅雨を前にして晴れ間をしっかり稼いでおこうとするのか、連日すっきりとした晴れが続いていた。ネットの週間予報や月間予報を見てもずらっと晴れマークが並んでいた。 今朝の保育園の送迎が妻の番でよかった。どんな顔して夏珠に会えばいい…

春の雪と夏の真珠(第十六話)

第十六話 恋愛キングには会えなかった。彼には隠し事などできないから正直なところを聞いてもらいたかった。今日は連絡先を交換するつもりだったのだが、会いたいときに限って会えないのはやはり世の常みたいだ。 今日の俺は誰から見てもいいことがあった幸…

春の雪と夏の真珠(第十五話)

第十五話 過ごしやすい気温の日が続き、今日も清々しい朝だった。 凰佑を叩き起こして少し家を早く出た。ゆっくり保育園まで歩く道のり、木々はすっかり緑をいっぱいにしていて、その辺りだけは空気も澄んでいるかのように思えてくる。 眠そうに歩いていた凰…

春の雪と夏の真珠(第十四話)

第十四話 ゴールデンウィークの後半はどこに出かけるでもなしに家の片付けなどをしながら近場で食事したりのんびりと過ごした。家の近くをうろついていれば夏珠とばったり出くわすこともあるかと思ったが、そんな幻想はあっさりと打ち消された。 休みの間、…

春の雪と夏の真珠(第十三話)

第十三話 大道芸を見ていた観客の大きな歓声と拍手が響いた。 俺が今見ている海は伊豆の海で、また過去を見ていたのだと気づいた。手に持つソフトクリームは一口も食べずにもう溶けて形を留めていなかった。 「ちょっと食べないの? ベタベタじゃんよ」 慌て…

春の雪と夏の真珠(第十二話)

第十二話 中学三年の夏休み。 あれだけ時間が余っていたのになぜか八景島に行くことは思い浮かばなかった。夏祭りの余韻に浸って夏珠とはさらに絆を深めていたそのとき、母親から最近八景島に行ってないねなんてふと言われた。なんで今まで忘れてたんだとす…

春の雪と夏の真珠(第十一話)

第十一話 「あら、意外と早かったね」 公園を抜けて歩道橋を渡れば俺の家の団地の敷地内に入る。そしてそのまま長く緩い坂道を登った先に十四階建ての建物が見えてくる。俺の家は抽選で選ばれた結果という偶然ではあるが最上階の角部屋だった。上から見る眺…

春の雪と夏の真珠(第十話)

第十話 駅の周辺はほとんど団地で埋め尽くされている。駅周辺を抜けると一戸建ての住宅が並ぶ場所が見えてきた。都心からは離れた町とはいえそこに並ぶ家々はどれも立派な門構えで、かなりの金持ちが住んでるだろうとかねてから思っていた。そんな住宅街に入…

春の雪と夏の真珠(第九話)

第九話 夏珠とメールのやり取りをしたのは番号を交換した最初の日だけで、それ以降は特に連絡はなかった。 どこかほっとする気持ちと少し残念に思う気持ちがないまぜになってすっきりしない。頻繁に連絡を取り合える関係ではない。夏珠もその辺りをわきまえ…

春の雪と夏の真珠(第八話)

第八話 桜の見頃は本当に束の間で終わる。その短命さゆえに花見ができずに四月を過ごす人も多い。満開の桜はもうすでに散り始め、葉桜へとその姿をシフトしつつあった。 「でも葉桜もいいよね。春から夏に向けて衣替えの途中。ピンクと緑が絶妙なバランスに…

春の雪と夏の真珠(第七話)

第七話 今朝はいつもより早く目が覚めてしまった。二度寝の誘惑に駆られることもなく、すんなりと起き上がることができた。 自分の身支度をすべて整えてから息子の凰佑を起こした。早く目が覚めたぶん凰佑を起こす時間も普段より少し早い。それでも珍しく前…