「雪の瞳に燃える炎」(第一話)

第一話

 「初めて」というのは何事にも緊張を伴う。
 スペインの空港がイタリアで見たそれと似ているようでいて違って見えるのは異なる国民性を反映したことによるものだろうか。海外にだいぶ慣れたつもりでいても、初めての地にはそわそわしてしまう。
 光央は空港のロビーで待ち構えているはずのマリオの姿を探した。出口を出ると、そこには芸能人の出待ちをしているかのように人々がお目当ての人間を探している。マリオと光央がお互いの姿を捉えたのはほぼ同時だった。共に目が合い、「あっ」と声を上げた。
 光央が厚手のコートを着ているのに対して、マリオはシャツにカーディガンという春の格好をしていた。情熱の国スペインはやはり暑いのだろうかと光央は安易な考えを巡らせる。
 マリオとは半年ぶりの再会となる。スペイン人はヨーロッパ人のなかでは小柄な部類に入るんじゃないかと光央は思う。それは光央が知るスペイン人の友人がほとんどあまり大きくないからだ。マリオに関しては日本人と比較しても体格に差はないくらいで、日本人の平均身長よりやや低い光央ともほぼ同じ目線の高さだ。
 だからこそお互い発見がスムーズにいったのかもしれない。マリオはシニカルな笑みで光央を迎える。軽いハグはあるものの、周囲のスペイン人たちがしているような暑苦しさは見られない。
 「久しぶり」
 周りは挨拶だけで映画一本見終わるんじゃないかというほど長く抱き合ったり、キスをしたり、話し込んだりと忙しい。そんな中、光央とマリオは余計な言葉をその場で交わすことはせずスマートにその場を後に車に向かう。
 「情熱の国」なんて形容される通りスペイン人はみな本当に熱い。陽気で明るくよく喋る。仲間を大切にし、喜怒哀楽がはっきりとしていて、特に「好き」という感情を惜しみなく表現する。身振り手振りも多く、じっとしていられない。日本で有名な、大陸の温度を上げると噂されるほどの熱い某テニスプレーヤーのような人が国民の大半を占めると思えばわかりやすいだろう。
 そんな国民性を持つスペイン人にあってもマリオは物静かであまり喋らない。感情表現も穏やかで、怒った姿はとても想像できない。仲間を大切にする優しい面に特化した紳士で、いつでもシニカルな笑みを浮かべている。
 「そんな格好してたら暑いんじゃない?」
 光央はスペインに入る前はイアリアにいた。今回の旅は大学の春休みを利用した二月と三月の二ヶ月間で、スペインに一週間滞在したらまたイタリアに帰ることになっている。
 三月も中旬となるがイタリアは寒かった。先週までは雪も残っていて、イタリア出国時も今のこの格好で寒さをしのいでいた。隣国にわずか二時間ほど横にスライドしたくらいのフライトで、午前から午後に変わっただけで気温がそこまで大きく変化するとは思えなかったが、空港を出るとまるで沖縄にでも来た心地がした。海が近いのかほのかに潮の香りを乗せた温かくも冷たくもない風が優しく光央を歓迎する。
 「あれ? 本当だ、全然寒くない」
 マリオは、何を当たり前のことをとでも言いたそうな顔で空港前に止めてある車に乗る。
 「聞いて、イタリアは寒かったんだ」
 「どこから来たんだっけ?」
 「モデナ」
 マリオはちょっと考えるような顔をしてみせたが、すぐに得意のシニカルな笑みに戻る。
 「ま、モデナに比べたらバレンシアの緯度は下だね。でもこの辺は昼夜の気温差が激しいから、寒がりなら夜はそれくらいの防寒はしてていいかも」
 光央はさっきまでの緊張が嘘のように、マリオの横にいると一気にリラックスすることができた。
 空は青く、海の色そのまま。
 「海が青いから空が青いんだっけ、空が青いから海が青いのかな?」
 「どちらでもない」
 シニカルな笑顔を継続中のマリオがわかりやく解説する。
 「太陽光が散らばるからだよ。大気も水も青い光を強く散らばせるから青く見える」
 光央とマリオはイタリア語で会話をしている。理由は光央がスペイン語を話せないから。元々イタリアの語学学校で出会った二人であるため、共通語はイタリア語だった。
 理科の先生のごとく解説するマリオの言葉にイタリア語にはない単語が混じってるように聞こえたのは、少し専門的なことを話題にしているため正確なイタリア語の語彙がわからなかったためだろう。それでも光央はスペイン語を話されてもなんとなく理解することができた。それくらいスペイン語とイタリア語は似ていた。逆に光央がイタリア語を使っても、スペイン人はやはりなんとなく光央のことを理解してくれた。それは前に会ったスペイン語しか話せないマリオの友達が証明していた。
 初めてマリオと出会ったのは夏休み。光央はイタリアのモデナという町にいた。光央はモデナをフィールドワークの対象としていたため、夏休みの間を利用してモデナを訪れていた。その際に世界にネットワークを張ろうと思い語学学校に通ったのだが、マリオはそのときルームシェアをしたパートナーだった。
 初めて接するスペイン人だったマリオが思い描いていたスペイン人像とかなり違っていたこともあり、陽気で情熱的といったイメージは日本人が勝手に付けた偏見みたいなものと光央は思っていた。
 後にスペインからマリオに会いに来た友達らを目にして、光央は真実を思い知った。物静かなマリオとは打って変わって、友達らのなんと喋ること喋ること。朝から飲み食いを始め、昼、夕、夜、夜中、宴会のように騒いでいる。ルイスという典型的なスペイン人である友達は見た目も軽いが声も軽い。話しているとケタケタという音が聞こえてきそうなくらい軽快に巻き舌の言葉をものすごい速度で紡いでいた。でも不思議なことにその圧倒的な速度でマシンガンのごとくスペイン語を喋られても、光央はルイスの言うことは理解できた。もう一人のファビオは、小柄が多かった友達のなか唯一の例外で二メートル近くある長身の男だ。どちらかといえば物静かなマリオに似ているようだが、仲間内ではやはり喋る。長身から繰り出される特有の低い声のせいかファビオのスペイン語はルイスのそれと比べて聞き取りにくく理解できないことも多かった。それでも光央はマリオの友達らと、イタリア語とスペイン語で見事に意思の疎通に成功していた。
 「マリオ、元気そうだね。ルイスやファビオも元気?」
 「みんな変わりなくやってるよ。今夜はルイスの家で食事をすることになってる。ファビオはあいにくと仕事で来れないけど明日には会えると思う」
 「それは楽しみだ」