「漂う」(第一話)

第一話 

 あなたが言うところのどこまでも果てしなく青く碧い美しい空に向かって、あなたはただ当てもなく彷徨い歩いていた。
 人の手が届かない孤島を取り囲む紺碧の海を思わせる空。
 どこまで歩けば辿り着くのかなど見当もつかない。それでも足は自ずと引き寄せられていく。
 あなたはもう意識が朦朧とし、まともな思考をすることもままならない状態だった。
 歩く理由、ひいては自身の存在目的すらもう考えることができなかった。
 あなたは恐らく、ぼろぼろに擦り切れた紺のポロシャツと黒のチノパンを着て、およそ現代社会の新進気鋭なクリエイターとは思えない身なりで歩いていた。
 持ち物は一台のスマートフォンと残り僅かな小銭だけ。だがそのスマートフォンもすでにバッテリーがなかった。
 一体どのくらいの時間と道のりを歩いていたかもわからない。
 ただなぜか、どうしようもないくらいにあなたは焦がれていた。
 焦がれているという感情のみが体を動かす唯一のモチベーションとしてそこにはあった。
 温かい風と冷たい風が交互に吹き抜けていく。
 音もなく、周囲には誰もいない。
 確かにそう脳が認識していた。
 あなたの心は決して乱れてはいなかった。
 だからあなたは歩くのを止めなかった。
 疲れ果てていただろう。空腹だっただろう。喉が渇ききっていただろう。異性の体を求めていただろう。あらゆる欲望が渦巻いていただろう。
 それでもあなたは何も感じることがなかった。「焦がれる」というあなたにも理解できない想い以外には。
 見えていない。聞こえていない。感じていない。
 それなのに結果あなたはここまでの道のりを漠然とはいえ認識していた。それは無我の境地とも表現できるのかもしれないとあなたは言う。
 時間の経過はもはや不毛だった。そこには時間という概念がないのだとあなたは知った。
 意識を自分の半径数センチから数メートルに広げていく。
 聞こえないのに無数の旋律が聞こえてくる気がした。
 それは脳に直接響いているかのよう。
 意識の範囲を広げていけばいくほど辺りが暗くなっていくようだった。
 もうあの美しい海のような空はなかった。そして完全なる闇に包まれた。五感の一切が機能しない闇。ただそれは恐らく一瞬だった。