「漂う」(第六話)

第六話

 あなたが意識を現実に取り戻したとき、あなたは滝のような汗を流していた。着ているメッシュ素材のシャツは余裕で絞れるほど汗を含み、ぴったりと体に密着している。
 正面の大きな鏡に映る自分と目が合う。
 その下の時計を見ると、あなたが途方もなく長い旅をしていたと感じたものは時間にして僅か三十分であると客観的な事実をそこに刻んでいた。
 あなたは現実をしっかりと受け止める。薄暗くエメラルドグリーンの照明の部屋はゆっくりと赤紫色へと変わる。
 止まらない汗。
 蒸した暑い部屋。
 あなたは自身が深い瞑想状態にあったことを知った。極限までに集中していることによるフロー状態にも似た現象。あなたは紛れもなく自己と向き合い、深い内省を通して長く長い旅をしていた。
 あなたが見た景色、それはすでにぼやけた記憶となりつつあったが、それはすべてあなたの内側にあるものだとあなたは理解した。
 それが暗示しているものが何かは具体的にはわからない。それでもあなたは気持ちがすっきりしていた。
 「一時間ありがとうございました。リラックスできましたか?」
 細く女性らしい綺麗なシルエットのインストラクターからあなたは声をかけられた。
 「ありがとうございました。違う世界に意識が飛んでいました。すごく清々しい気分です」
 「よかった。また疲れたとき、リラックスしたいときはいつでもお越しくださいね」
 あなたは彼女の声に癒やしを感じていた。彼女の声を辿ってあのような不思議な体験をしたのだと、不意になんとなくそう思った。
 あなたは想う。
 焦がれていたあの感情のことを。
 スタジオを出るときあなたは確かに見た気がした。
 ほんの刹那、あなたのインストラクターのその整った顔に影が差したのを。