「雪の瞳に燃える炎」(第九話)

第九話

 雪は祭りの詳細を語った。
 遠くを見つめるその目には何が映っているのだろうか。懐かしむようでいて、悲しみの色合いが含まれているようにも光央は感じた。雪の言葉によって震える空気はいつだって色を帯びる。語られる言葉と帯びた色が合わなければ、それは嘘という可能性が高くなる。けれども雪の語る言葉はどれも、目にも耳にも無垢な境地を届けていた。
 「雪さんは祭りが好き? それとも嫌い?」
 フランチェスカのような例もあるので、ふとそんなことを聞いてしまった。
 温かくも冷たい表情。中性的とは違う、雪の本質を表す顔。
 「好きだけど嫌いかな」
 そっと震える空気は複雑な色合いを帯びて霞のように静かにゆっくりと消えていった。
 沈黙もまた心地よい。この緊張感のなかでそう光央は思った。
 多くを語らないミステリアスな女性。そのイメージを壊すことは、雪との関係をも壊すことになる気がした。雪のことが知りたいと思う一方で知りたくないとも強く感じた。
 光央は自分の気持ちを持て余していた。これを「恋」と呼んでもいいものか。行きずりのアバンチュールを求めるような煩悩は意識の底に少なからずあった。ただ、雪をものにしたいなんておこがましく恐れ多いとすら思ってしまう。それでも、せめて雪のものになりたいという願望が頭をよぎる。雪にならどんな目に合わされてもいいかもしれない。
 光央は冷静だった。第三者の目で客観的に自分を見れていると自覚しているのに、そのとんでもない思考を打ち消すことができなかった。
 「泡沫であれ夢うつつに溺れているときは幸せなんだから」
 ふと雪が口にしたその言葉は、光央の頭を巡っていた形にならないもやもやとしたものに命を吹き込む魔法の言葉だった。もちろん雪は光央が考えていることとは違う視点で発言をしていたのだろうが、二人が運命的な結びつきの元にあると光央に感じさせるにはもう十分すぎる演出の多さだった。
 時計に目をやると同時、雪はいきなり立ち上がる。
 「行こう」
 雪はオーナーに何か言葉をかけるとお金も払わず飛び出して行った。光央は訳がわからないまま笑顔のオーナーに向かって頭を下げ店を出て雪の後を追った。
 歩くスピードが速い。けれど雪が歩くと周囲の時間が止まっているかのようにゆっくりと流れていった。どんどん道行く人を追い抜き、街の中心へと戻って行く。雪は光央が付いてきていることを確認しないまま突き進んだ。
 光央が二日目に街を散策したときに見た市庁舎が見えてきた。辺りには妙に人が集まっていて、このままでは雪を見失いそうだと光央は危惧した。幸い、雪も同じことを思ったのか、光央がいることを初めて確認したうえで迂回して細い道を入り奥へと進む。
 「見るものじゃないから、ここでいい」
 光央にはどういう意味なのかよくわからなかった。雪と横並びに立った前には市庁舎広場に向かって道をびっしりと埋める人の列ができていた。何が始まるのかわからないが、周囲の人々の今か今かと待ちわびる緊張感は伝わってくる。
 バンと爆竹が大きく鳴り響いた。それに続けと連続して爆竹が響く。いつもの地元民が投げ放つものとは何か違うと光央が直感的に思うのとほぼ同時に、信じられないくらいの凄まじい爆音が響き始めた。どれだけの爆竹が一斉に放たれたのか、その規模はどうなっているのか。鼓膜を直に刺激する爆発に体までもがびりびりする。真っ白な煙が立ち込める視界はほぼ何も見えない。その圧倒的スケールの演出に心が揺さぶられた。
 その爆音のさなか、「光央」と呼ぶ声を聞いた気がした。隣を見ると、雪のその絶対的な力を宿した目から透明な宝石の輝きが滴り落ちていた。そして再び、「光央」と、すぐ隣にいる光央を呼ぶようでいて決して手が届かない遠くの誰かを求めるような、そんな声を光央は感じた。
 先ほど雪が言った「見るものじゃないから」という言葉を思い出す。きっと雪は今まさに何かを感じている。その瞳に映るものに心を満たされている。
 音が止んでなお耳には轟音が張り付いたままの感覚が残る。光央は雪の手を握っていた。そしてそのまま引き寄せ強く抱きしめた。白い煙に包まれたバレンシアの街には光央と雪のほか誰もいない。二人だけの時間がそこに確かに刻まれていた。